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昨年の事故入院時の記録から(その4)

2008 / 2 /28

痛み体験2

入院直後の処置に関わる痛みもかなりのものでした。長時間にわたる手術の後には、麻酔が切れてきた段階で、次第により長引く、より激烈な痛みがやってきました。これは痛みの王様ではないかと思うような、その後も最も長く続いた激痛でした。
ただラッキーなことに、かねてからお願いしておいた数少ない個室がちょうど手術の日に空いて、術後から入れることになりました。周りの患者さんたちにぶざまな状態を見せないで済んだのはせめてもの幸いでした。また、それ以上に、消灯時間を過ぎてもこっそり電気を付け、読み物・書き物など自由にできるのも恵みでした。

歯の痛みに続く新参者の痛みは膝下骨折に関わるもので、これはまさに超ド級でした。
誰にでもある左右の腰骨の飛び出している部分に、腸を保護する機能を持つ腸骨という名の骨があるのですが、この骨は多少削り取っても問題がないため、どこかの骨に欠損が生じた場合はその部位の骨がよく移植されるのだそうです。私の場合も、左膝下の砕けた骨の部分の補いとして、この腸骨が使われました。その腸骨の傷口から発する痛みが、徐々に徐々にしか治まっていってくれず永らく苦しみ抜きました。

手術の4日後のことでした。地下フロアでレントゲンを撮るために移動することになり、若い看護師さんたちに手伝ってもらいベッドから車椅子への移動を敢行したのですが、これが猛烈な痛みを呼びました。身体を斜めにひねった際、余りの痛さにそのまま全く動けなくなってしまったのです。これではダメだと移動を断念したものの、痛みが収まらないのでベッドに戻ることもできず、廻りはただオロオロと注視する中、私は唸りながら脂汗を垂らし激痛に耐えていました。おそろしく長く感じましたが本当は5分位だったでしょうか、車椅子にひっかかったような変な格好でもたれかかったままいたのでした。でも姿勢としては傷口に無理な負担がかかっていることは確かなので、いつまでそうした中途半端な格好でいるわけにはいかず、何とか堪えながらベッドに戻りました。この時の激痛闘争は、もう二度と生きている間には体験したくないと思った程、凄いものでした。

入院中には、何度となく頭痛なども起こったりはしたのですが、歯や腸骨のそれに比べると普段は忘れ過ごしてしまっていると言ってもいい軽度の痛みに過ぎませんでした。

トピックスとして、飛び上がらんばかりに痛かった意外な思い出は、入院後、初めてシャワーを浴びた時のものです。
傷も治まりようやくシャワーの許可をもらえた私は、看護師さんに車椅子を押してもらいバスルームへ。そして、久し振りに手に石鹸をつけて顔を洗うところから始めようとした瞬間、目にそのまま石鹸が入ってしまい激痛が走りました。
そうなのです。顔面がまだしびれたままで、右まぶたを閉じる時は自分の手で閉めてやらないといけなかったことを、その瞬間つい忘れていたのです。人のまぶたを閉じる神経と開けるそれは別系であることを、今回の怪我で初めて知りました。以来、入院中のシャワーでは、顔は必ず最後に注意深く洗うことに留意したのでした。

痛みの中で最も長く長く続いたのは、バイクにぶつけられた左側の肩から腕にかけてのそれでした。左肩は腕を全くうしろに回せない状態が続きましたし、どうしてそうなるのかさっぱり分からないままに、痛みはともかく次々と腕のいろいろな部位に出てくるのです。これは入院当初から続いていましたので担当医の先生方にも申し上げてきたのですが、レントゲンを撮っても異常無しで、結局、湿布薬や痛み止めの飲み薬を貰うだけでした。
広尾病院退院後にリハビリに通った都立青山病院でも診断結果は全く同じで、苦しいリハビリを2ヶ月半続けましたがまるで治る気配はなく、突発症のように出てくる痛みに苦しめられました。

ところがです。その後、ある先生の診察を受けてみたらと紹介を受け、半ばあきらめ気味にサードオピニオンを求めて紹介先の先生を訪ねました。診察を受け、同院の理学療法士の先生の指導も受けました。そして、言われた通りの簡単なリハビリ体操を1ヶ月ちょっと続けてみたところ、思いもかけず、あれ程長く続いていた痛みがあっという間にほとんど治まってしまったばかりか、痛みで動かせずにいた左の腕も右と同様に楽にうしろに回せるまでに回復したのです。驚きましたね。あんなに長かった苦痛が、特別な苦労を伴うこともなく消え去り、健康体へと回帰したのですから。その時に人間にとっての重要な動き「結束結帯 (けっそくけったい=髪が結える、帯が結べる)」という言葉を習いました。
病気を治すには諦めは禁物であることを、改めて教えられたのでした。



投稿者 Nakanishi : 2008年02月28日 16:24