■■「STRAMD Advanced」を開講すべき?
― 次世代型「戦略経営デザイン人材育成講座」再興構想 ―
2020 / 2 / 7
このたび、講演のご依頼を受け、広島県の福山まで出かけて来ました。
広島は、PAOSを始めた頃に東洋工業(マツダ)の仕事を8年半ほどさせて頂きましたので、よく通った思い出深い地です。夜行寝台列車を利用していた70年代が懐かしく思い起こされます。この地方では、中国電力のプロジェクトもお請けしましたので、福山駅前でマンホールの蓋に同社のロゴを見つけ、嬉しく拝見しました。
今回の福山講演は、「中つ国グローカルデザイン振興協会」主催の講演会だったのですが、地方独特の穏やかかつ親しみの持てる雰囲気の中での、気持ちの良い催しになってくれました。お世話くださった皆さま方には感謝です。
中には3時間半もかけてわざわざ他県から聴講に来て下さった参加者もいらしたりして、実に熱心な方たちとの出会いも嬉しいものでした。
福山講演後の質疑応答と対話のひととき
そして、そうした方たちの真剣な眼差しや熱心なご質問に接する中で、もう一度「STRAMD」の深掘り型講座を始めてみるべきではないか?と思い始めました。
折から、PAOSは50周年を迎え、今後私のやるべきことはなんだろうか? とこのところずーっと考え続けていたこともあり、使命感にも駆られ、「そうだ、これ迄の恵まれた独自キャリアや長年築きあげてきた《知的美的経営資産》を活かして、次世代型人材を育てていくことこそ重要なのではないか?」と閃(ひらめ)いたのです。
幸いPAOSには、わが国を代表する企業等の他所にはない開発プロジェクトのケーススタディ(具体的開発事例)がたっぷり蓄積されており、同時に海外著名企業のCI事例等の資料類も、多分世界でも最も豊富に所持していると自負しておりますので、これらも活用した深掘り型の戦略経営デザイン人材育成講座の開設こそ重要なのでは?と感じた次第です。
折しも世の中では「デザイン経営」をキーワードに、そうした分野の人材育成の必要性を述べる声が溢れ始めており、自らの年齢を考えると多分そんなに長くは難しく、数年間の講座にはなろうかと思いますが、多少無理をしてもそういった声に応えるのが私の使命かとも思うようになりました。
私は著作物も多数あり、企業のプロジェクトも約150社近くお引き受けしてきましたが、そもそもこうした独自のデザイン人生は、大学入学時に始めた「中西デザイン道場」なる人材育成塾に端を発しています。この私塾は、結果的に6年ほど続けたのですが、今のPAOSという会社もその延長上に始まった事業です。幸いなことに、その会社が半世紀もの長きに渡り続いてくれたのですが、企図するところはそうした歩みの集大成のようなものともいえそうです。
その講座のイメージは、今のオフィスを教室にして出来る規模、人数は会議室の椅子の数ほどのごく少人数とし、わがオフィスで行うのであれば多少手狭感は免れませんが、そのかわり必要な資料類はいつでも取り出せます。講義内容は参集したメンバーに合わせて考えましょう。基本は私塾ですが、随時、適切な外部講師の先生方の支援も仰ぎたいとも思います。
もしそんな講座ができれば、どこにも真似の出来ない人材育成の場が誕生することは間違いなさそうです。
その一方で、私は研究者というよりは本来が実務屋ですから、お引き受けしているプロジェクトへの責任もしっかり果たして参る所存です。
人生100年時代に入り、これからの生き方そのものもまさに私の実験人生と呼べる時期に入ったようですから、いつまででもチャレンジを続けていきたいと考えている次第です。
■「デザイン経営」の時代やって来るか?
2019 / 12 /13
昨年(2018)経済産業省と特許庁が「デザイン経営」をキーワードに指針を出したかと思うと、今度は多摩美術大学が《日本初の「デザイン経営」人材育成講座開講》と銘打って、来春からビジネスパーソンを対象とした新講座を開講するとのニュースを賑やかに発信されていました。
多摩美術大学「デザイン経営」人材育成プログラム開講の発表
いよいよわが国もデザインの課題が企業経営に及んできたのは誠に喜ばしいことですが、今頃「日本初」などと叫ばれると、これはわが国の「デザイン+経営」界の遅れを逆に強調するようでちょっと困ります。
私たちが戦略デザイン経営を旗印に、「STRAMD (戦略経営デザイン人材育成講座)」なるタイトルのもと、新しい人材育成講座をスタートさせたのは今から10年近く前の2010年のことです。
STRAMD開講時のパンフレット(2010年)
この講座は、当初は2008年に早稲田大学で翌年開講の予定で進めていたプログラムでした。時の白井総長も新しいデザイン経営プログラムに期待され、「できれば早稲田PAOSという外部機関を設置し、そこに企業の寄付を募って今後に必要な人材育成を行っていこう」という構想をお持ちでした。これにはベネッセの福武總一郎社長 (2008年当時) も大賛成で、自ら応援団長を引き受けてくださるとまで仰っていたのです。ところが、そこに折悪しくリーマンショックが襲ってきて、この話はお蔵入りになってしまいました。
そして、この経緯を翌正月の新年会で、桑沢デザイン研究所の所長であった内田繁さんに話しましたところ「中西さん、その企画を桑沢で実現出来ないだろうか?」とのお申し出があり、2010年4月に「STRAMD (Strategic Management Design:戦略デザイン経営人材育成講座)」として同校で開講した次第です。
そしてのちにはデジタルハリウッド大学大学院 (杉山知之学長) のご支援を得て通算8年間続けることになり、合計約200名の修了生を送り出しました。
また本講座は、阪神電鉄の文化事業として大阪でもサテライト開催されました。
STRAMDは、熱心な修了生たちに支えられ、同窓会を「STRACOM (STRAMDタテヨコナナメの会)」と称し、現在も交流やプロジェクトを共にする動きが活発に続いております。
多摩美術大学のTCL (Tama Art University Creative Leadership Program)が日本初というのは明らかに日本デザイン史上の誤記であり、わが国の当事象が10年も遅れたことになってしまいますので困りますが、デザイン経営教育の流れが次々と生まれてくるのは歓迎すべき風潮と感じています。
STRAMD8期生募集のパンフレット(2018年)
■最初の著作は刺繍本
2019 / 11 /12
何かと取り紛れ、しばし本ブログの執筆を怠っていましたら、何十年振りかの友人から便りを頂いてしまいました。「ブログの更新がなされていませんが・・・?」と。
確かに15年もの間、折に触れて所感を物してきたブログですから、お読み頂いている方には、「何かあったのかな?」と思われても致し方ありません。お目に掛かる方からは時々口答で指摘を受けてはいたのですが、お手紙まで頂いてしまうのは初めてでしたので、ちょっと慌てました。
幸い、変わらずに元気にしておりますので、何か書かねばと思い立った次第です。
先日、資料の整理をしておりましたところ、何と1960年に出版された写真のごとき書籍が出てきました。
■■チョコレート、無念の思い出
2019 / 2 /14
これは、かつてPAOSがデザインしたチョコレートの商品写真です。
ここには、毎年バレンタインデーが近づいてくると思い起こす、残念な思い出が秘められています。
パーソナル・ギフト用に開発した様々なチョコレート
写真のごとき各種多彩なチョコレートが華やかな新シリーズ商品として売り出されたのは、1986年のことです。当時わが国のチョコレート業界は、確か年間の80%以上がバレンタインデーの時期に売れる、という偏った市場構造でした。
そうした中、「思い切ってチョコレート市場に打って出たい」との依頼が、クライアントであるユーハイム社の河本武社長(当時)から寄せられました。積極的な市場戦略を展開しようとする洋菓子界の老舗からの申し出には私たちも大いに賛同し、生活に彩りを添える成熟型の市場形成に協力を、と意気込んで商品開発やパッケージデザインの魅力化に取り組んだのでした。
ところが発売して間もなく、とんでもない問題が発生しました。
業界には「商品が容器の70%以上を占めていないものは流通させてはならない」とのルールがあるというのです。詳しい経緯は私共には分かりませんでしたが、同業他社からその規定を元にした指摘があったとのことでした。
確かに見せかけのボリューム感でごまかす悪商法はあり得るので、消費者をだましてはならないとするまっとうなルールとも思えます。しかしこのチョコレートの場合は、まわりのスペースをも含めて送り手の遊び心やセンスを表現しようとした成熟市場型の新感覚商品であり、決して欺いて嵩(かさ)上げ効果を狙おうとの目的ではありませんでした。とは言え、物量重視の当時としては無視できない法規ではありましたので、河本社長は直ちに市場から一切の商品を撤収する決定をなされたのでした。
贈答文化が欠乏充足型の物的価値第一主義に消し去られた、無念の事例の思い出です。
■■■勝見勝先生
2019 / 2 / 9
ピクトグラムをテーマにしたJAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)の知財権セミナーが開催されたので、顔を出してみました。そこで久方ぶりに、デザイナーの太田徹也さんにお目にかかり、彼がエディトリアルデザインを担当しておられる竹中工務店のPR誌「approach(summer 2015)」を頂戴しました。
Approach誌と勝見勝特集
その刊は1964年の東京オリンピックでデザインディレクターとして活躍された勝見勝先生の特集で、懐かしく拝見させて頂きました。
1964年といえば私はまだ早稲田大学の4年生でしたが、処女出版でもある「デザイン・ポリシー(企業イメージの形成)」を上梓した年でもあり、オリンピックのカラー五輪雲を自衛隊機が空中に描くのを窓外に眺めながらこの拙著の校正を行った思い出がありますので、鮮明に記憶に残っています。
その後、私は現在の会社PAOSを起こし、創立15周年記念の展覧会を六本木のAXISギャラリーで開催しておりました折に、勝見先生に本展をお訪ね頂きました。たまたまその場には亀倉雄策先生ご夫妻もお見えになっており、それまでにPAOSの仕事などを全くご存知なかった勝見先生は大いに興味を示され、その場で「一度君の会社を訪ねたい」とおっしゃって下さいました、ところが、残念ながらその一週間後に急逝されてしまい、勝見先生のPAOS訪問は実現せずじまいになってしまいました。
PAOS15周年記念展(1983年)に来場された際の勝見勝先生
その後、勝見先生のご功績を讃えて制定されたのが「勝見勝賞」でしたが、何と私がその第一回の受賞者に選ばれました。嬉しくかつ大変に光栄なことでした。
第一回勝見勝賞受賞の表彰状
その時頂戴した表彰状は、今は亡き田中一光先生デザインの、ただ一点制作の手作りの賞状で、わが国最高の金箔が使われているのだそうです。
今も大切にオフィスに飾らせていただいています。