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影さんを悼む

2019 / 1 /15

年末年始は挨拶状の交換が行われるので、予期せざる情報も飛び込んで来ます。私にとっての年初の大ニュースは、元PAOSの仲間であった影山功氏が昨年7月に亡くなっていたとの知らせで、OBの木村大介君からの連絡でした。


在りし日の影さん (社員旅行の隊長として小笠原への旅の船中)
090911_w.jpg

影山功氏(通称:影さん)は、PAOS50年の歴史の中でも、ひときわ特筆すべき存在であったと言えます。
彼は、1970年10月12日入社と記録にあります。他の社員とはいささか異なった入社に関わる経緯がありましたので、その時のことは鮮明に記憶に残っています。
彼は、それまで三菱重工で魚雷艇の設計に携わっていたという変わり種でした。入社させて欲しいと訪ねてきた頃のPAOSは、将来に対するビジョンこそ意気軒昂でしたが、まだまだ名も実も乏しい零細企業でしたので、安定した大企業から転職したいとの彼の申し出を、私は「給与は下がるし、いつ潰れるか解らないようなチッポケな会社に、わざわざ転職する必要などないではないか」と、一生懸命止めました。
しかし、彼は「やるべきことは全て対処して来たので、会社や周りに一切迷惑をかけることはない。私はともかくPAOSで働きたいのです。そのために在職中に夜学のデザイン学校にも行き勉強してきました」と一歩も引かないのでした。
そしてとうとう根負けして入社を認めることになったのですが、入社すると朝は7時に出社してきて、一人でオフィスの掃除から始めているのです。デザイン会社は夜が遅いので、朝は少しゆっくり目に始まるスタッフが多いのですが、ともかく整理整頓からスタートする誠実無比な仕事の仕方は彼天性のもので、最後までそうした姿勢は変わりませんでした。


PAOSのプロジェクト資料データベース

これは彼が作ってくれたPAOS手がけてきたプロジェクトのデータベースですが、ともかく細大漏らさず資料の記録が残されています。これなどはまさに影山功氏の面目躍如たる仕事と言えます。

他には真似のできない仕事をし続けていた影さんが突然倒れたのは、2010年10月のことでした。すぐに見舞いに駆けつけましたが、元々はスポーツ万能を誇りにしていた影さんが・・・と、言葉を失いました。しかし彼自身は結構意気軒昂でしたので、私も、影さんならそのうち仕事の場に復帰してくれるに違いないとの望みを抱いていました。彼が持っていた独自にして特殊な仕事能力は、それほど希有なものであったのです。

そして影さんの復帰に期待をしていたある日、弟さんから連絡があり、兄は中西さんが待っていてくれるから…と強気で張り切っているものの、家族としては、何とか穏やかに施設で過ごしてもらいたいと願っています、とのことでした。
希望を持った入院生活を送ってもらうことこそ大切と考えてはいましたが、ご家族のお気持ちもお察しし、私からの直接の連絡は控えOBたちから情報をもらいつつ見守っていました。そして久方振りに飛び込んできたのがこの度の訃報でした。

亡くなってからそんなに経っていたのかと驚き、すぐに弟さんにお悔やみの電話を入れました。
昨年(2018)7月15日に永眠とのことで、「最後の方は本人もしっかりしていて、いろいろな精算なども自ら全て済ませ、家族と楽しく語らう日々の中、とても安らかに亡くなりました。」とのことでした。
生涯独り者であった影さん、きちっとした性格の影さんらしい、人生の締め括りだったようです。

影山功さん、どうぞ安らかに永遠の眠りについてください。
合掌。

PAOSの同志 中西元男



投稿者 Nakanishi : 2019年01月15日 12:58