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ポルトガルの旅

2017 / 12 / 1

今年の春先にポルトガルツアーの案内が届きました。


ポルトガルツアーのしおりから


足腰に堪(こた)えた坂道と石畳の街々

振り返ってみますと、スペインやイタリア、フランスなど周辺国は仕事や本を書くための取材等で何度か訪ねた経験がありましたが、ポルトガルだけはこれまでまるで訪れる機会の無い国だったのです。そこで、これも一つのチャンスかと参加の申込みをし、10月末の8日間、家族で出かけてきました。
ビジネスクラスで行けるツアーというのも、十数時間のフライトを考えると惹かれるものがありました。もちろん、妻と娘もこの便乗旅行には大賛成です。参加者は計13人のツアーでしたが、多くは退職後の60代のご夫婦で、既に多くの国々を巡り、私と似たようにポルトガルだけは見残していたという旅慣れた人達でした。

今般出かけるまで、ポルトガルについて私が知っていたことといえば、「日本に鉄砲を最初に伝えた国」「キリスト教をわが国にもたらした宣教師フランシスコ・ザビエルが同国人」「カステラの語源が元々ポルトガル語」「コルクが特産品」「ファドは同国の民族音楽」ぐらいで、乏しい知識しかありませんでした。
しかし、日本とは昔からご縁の深かった国のようで、わが国にはポルトガル語を語源とする言葉が沢山残っています。
コンペイトー(金平糖)、テンプラ(天麩羅)、パン、ボタン、カルタ、タバコ等々、調べれば無数にあります。

さて、羽田からルフトハンザ航空に乗り、13時間の飛行でフランクフルトに飛び、トランジットして3時間半、ようやく首都のリスボン空港に降り立ちました。
そして、ヨーロッパ大陸の西の端、ロカ岬まで足を運んできました。


ヨーロッパ大陸の西端、ロカ岬

まず同国の各地を一通り回ってみて、印象に残ったことといえば、「キリスト教/岩(石畳)/坂道/鰯(イワシ)/コルク/独特のブルー」の6つのキーワードに集約されるでしょうか。

とりわけ熱心なローマン・カソリックの国である事は、このたびの旅行であらためて強く印象づけられました。われわれツアー客がぞろぞろ歩いていくカテドラルの中にも、熱心に祈りを捧げる敬虔なキリスト教徒の姿が散見され、心打たれるものがありました。同時に、一神教崇拝の深い想いに強い刺激も受けました。
人が最も激しく殺し合うのは、宗教戦争と部族間闘争、そしてイデオロギー闘争だと言います。しかしわれわれ日本人のように、正月は神社に参拝し、お盆には墓参りをしてお線香を上げ、クリスマスは盛大にキリスト降誕を祝う、典型的なご都合主義にして多神教の人間とは、大きく異なる宗教観と言えるでしょう。あらためてそれを痛感させられた旅でもありました。
それにしても、いくつか案内された教会や修道院内部の豪華な金箔づくしや色鮮やかなステンドグラスのきらめきは印象的で、これでもかというほど堪能して参りました。


新旧数々の教会堂とステンドグラス、そして祈りを捧げる信徒

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教会内はふんだんに金が使われている

ポルトガルは、大航海時代にスペインと協定を結んで地球儀上に線引きをし、次々と植民地を広げていったことで有名であり、エンリケ航海王子は大航海時代を代表する人物です。しかし、当時は人口100万人程しか国民のいなかった同国は、植民地化していった国々を最終的には維持しきれなくなってしまったという笑えぬ話も残っています。例えばその名残の国家ブラジルはポルトガル語の国ですが、面積は本国の83倍もあるとのことです。アフリカにも数多くポルトガル語を話す国々があるようです。


海外進出を記念するエンリケ航海王子と航海開拓者や宣教師などの海外進出者として功があった人達の記念碑
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フランシスコ・ザビエル

もう一つ印象に残ったのは、行けども行けどもの石畳でしょうか。
大体ヨーロッパ大陸そのものが大きな岩盤の上にある事は今回見知った知識ですが、連日石畳の上を歩く旅も、足腰に大きな負担になることを痛感しました。帰国してからも一週間くらいは筋肉痛に苦しみました。(ポルトガルを旅する人はなるべく底の厚い靴を履いて行きましょう)
しかもこの石畳の多くは坂道状で、リスボンなどポルトガルの街々の特徴は「坂道の都市」なのです。
また、食べ物では鰯(イワシ)が沢山獲れるとのことでしたが、この辺りが日本人の食にも合いやすいところなのでしょうか?イワシのモチーフは土産物などにも多く使われていて親しみが持てました。


イワシのモチーフが多い土産物

特産物はコルクで、その材料はコルクの木の「皮」だそうです。スコッチウィスキーやワインの栓用に多く近隣の国々にも輸出されているようですが、それ以外にもハンドバッグやベルト、その他お土産物などにも多用されていることを初めて知りました。


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コルクの大木とコルクの材料になる木の皮

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コルク製ハンドバッグ

街並みには、独特のブルーのタイルが多用されており、アズレージョと呼ぶようですが、これも街路や駅舎に独特の風合いを与え、海洋国家らしい美しい藍色でした。
もう一度訪れることは無かろうポルトガルの独特の景観ですが、まぶたに快く焼き付いています。


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独特のブルー(アズレージョ)のタイル絵

そして、ポルトガルを訪れた際には、どうしても本場で聴きたかった民族歌謡がファドでした。
かつてファドの女王と呼ばれたアマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」という曲がわが国でもヒットしたことがありましたが、その愁いに満ちた曲想が印象的でした。そこで今回はオプショナルツアーに参加して、本場物のファドを専門の店にまで聴きに行ってきました。彼女は既に故人になっていますが、今でも国民的英雄として人々に敬愛されているようです。
その独特の曲調は今も耳に残っています。


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ファドの専門劇場



投稿者 Nakanishi : 2017年12月01日 10:16