中西元男 実験人生
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« 「コーポレート・アイデンティティ戦略」改訂版を刊行予定メイン飯粒を残すような奴は出世しない! »

「写真撮影」への思い入れ

2018 / 8 / 7

先般、故郷の神戸に出かけた折に、愛用のカメラを忘れてきてしまいました。そういうときに限って、撮り置きたいシーンが出てくるので始末が悪いのです。
最近はスマホでもかなりの精度のラチチュード(画像解像度)の写真が撮れるようになって来たのですが、どうしても専用のカメラを持ち歩くクセから離れられそうにありません。たとえハンディなそれであっても、カメラと呼べるものを持ち歩きたいのです。

私はPAOS創業間もない頃、北米に拙著DECOMASの取材に3ヶ月ほど出かけました。当時は外貨の持ち出し制限もありましたし、カメラマンを同道するほど資金が無かったものですから、アメリカ・カナダ・メキシコでの現地取材写真は、全て自分で撮影してきました。


30年間10刷のロングセラー拙著「DECOMAS」と取材写真

当時はフィルムカメラの時代でしたから、ニコンの35oカメラに交換レンズ3本とブローニーのミノルタ二眼レフカメラを携えて各地をロケハンして回りました。この際の機材揃えは早稲田の1年後輩で写真部の部長であった小川忠博君にお世話になり、NYのマンハッタンを毎日のように18キロものカメラバッグを抱えて歩き回ったことが良き想い出です。

この時のことは、本の掲載写真を見るたびにその現場シーンや状況をリアルに思い起こせるほど印象深いのですが、いま見返しても吾ながらなかなかの写真の腕前であったと思えます。
写真の技術は、現在よりは機材が不便であった分だけ技量で補わなければなりませんので、瞬間的判断力は撮り直しを気にすることなくシャッターが切れてしまう今よりは上であったのではなかろうかと思えます。昨今のデジカメのように、ダメな場合には直ぐに消去して取り直す、という訳にはいきませんので、下手な写真を撮ると、完全にフィルムの無駄の山になってしまったのです。その上、日本ではまだASA感度100のカラーフィルムしか市販されない時代に、アメリカではASA320や640もの感度のフィルムが手に入ったのですが、当然それなりに費用は掛かったわけですから、失敗は許されなかったのです。
現地では、当時NYで大手広告代理店のスタジオカメラマンをしていた早稲田大学デザイン研究会の1年後輩、山岡景樹君に大いにお世話になりました。
そして今、その時撮り溜めた写真類を涙をのんで選り分けと整理をしつつあるのですが、当時を思い出しては作業の手が止まってしまいますので、なかなか作業は進んでくれません。

もともと私と写真との関わりは、高校生の時、修学旅行の際にマミヤシックスというカメラを親に買って貰ったことに端を発します。このカメラは6×6版でもセミ版(6×4.5p)でも撮れる合理的なブローニーの蛇腹式のカメラだったのですが、その後も長く愛用し、今も個人的な想い出の記念品として大切に保存してあります。


マミヤシックスのカメラ

その後、写真と本格的に接するようになったのは、大学院生の頃に、早稲田大学の美術専攻の先輩でもあった著名な建築写真家の二川幸夫さんの所にアルバイトに行ったのが大きな契機となりました。この時は、二川さんが建築科の学生の教育用に出されるスライド集の編集のお手伝いをしていたのですが、私はGA(グローバルアーキテクチャー)シリーズの企画編集を担当させて頂きました。その仕事とは、二川さんが海外の現地取材をされる際の、当該建物の所在地の地図作成から始まり、その建築の主な特色や建築史上の意義まで、取材要領書を作りお渡しするというものでした。加えて、取材後の写真の解説文まで任されたりもしました。
ル・コルビュジェやガウディなど、現物を見たことも無いのに、海外の文献等を読みあさって準備をしたり解説文を書いたりと、後に現物を見に行くことにはなるのですが、今から振り返っても良い経験をさせて頂いたと思います。と同時に、建築写真のポイントなども大いに学ばせて頂きました。そこで画角の定め方や焦点深度の活かし方など、私流の独自の写真術のようなものが出来上がっていったと思います。
それが後に何冊もの拙著を著す際の掲載写真の撮影に大いに役立ってくれたと思えますし、今でも写真を撮ること自体は好きな行為です。



投稿者 Nakanishi : 2018年08月07日 11:51