中西元男 実験人生
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« 笑顔満面 7期生メイン

中国企業訪問と約30年前の想い出

2017 / 8 /10

これが自身で足を運ぶ最後の中国行きかも・・・?などとも考えながら、久方振りに中国に出かけてきました。

このたび、さる中国企業からブランド戦略やCI計画の開発依頼を受け、それも先方からわざわざ来日されてのご依頼でしたので、その熱意には応えなければとの気持ちにもなり、お受けするなら自分自身の目でその会社や経営者の人物像などを確かめてみなければと思いました。そこで、上海近郊まで足を運び、その企業の本社・工場その他関連施設などを視察してきました。
今回の出張では、PAOS上海代表の王超鷹と名通訳の黄克偉の二人が、実によくサポートしてくれました。


ずいぶん立派になった上海虹橋空港

今般訪ねた企業集団の創業者であるオーナーは、たった一人での地道な営業活動から始めて、今日の従業員8,000人の大企業にまで成長させたという立志伝中の人で、お目に掛かると人物的にも立派な方であり、工場やオフィスも実によく整えられたもので感心しました。
工場の設備・作業風景・管理体制などは事前の想像をはるかに上回る好印象で、社員教育も行き届いていました。その様子に接し、中国企業も単なる生産機関や経済機関としてだけでなく、文化機関や社会機関としても立派な存在になり始めているのだと感じ、気持ちを明るくして帰って来た次第です。

ところで、私が初めて中国を訪れたのは、家族旅行の1988年、そして先方からの講演依頼によるご招待の公式訪問は1993年が最初でした。以来、多数の講義・講演やプロジェクトの依頼、北京と上海での現地法人の設立など、中国訪問は既に100回は超えていようかと思います。

最初の家族旅行は、子供たちも連れていましたので少しでもグレードの高い旅が安全で良かろうと、料金は多少高めでしたがダイナースクラブのツアーで出かけました。しかし行ってみると、ダイナースなど当時の中国では知る人など全く無く、「日本交通公社」の方が遙かにブランド力が高い様子を見て、シマッタと思いましたが後の祭りでした。
その時は、日本から中国には直接は入れず香港経由で入国し、1週間のお正月家族旅行を楽しみました。当時の中国は、社会や生活のレベルはまだまだ本当に低いもので、娘が未だ赤ん坊で旅行途次に紙おむつなど取り替えていると、珍しそうに人だかり出来る始末でした。その頃の中国の幼な子たちは、皆パンツ一つで、その真ん中が割れていて、どこででもそのまましゃがんで用足しをしているのが普通でした。ですから、日本人の赤ん坊そのものを見ること自体が珍しい上に、使い捨ての紙おむつの存在など実に不可思議なものだったようです。
また空港では、政府の要人がやって来ると、われわれが搭乗する予定の飛行機がそちら用に回されてしまったりするのです。そうなると立錐の余地もなく人であふれかえった空港内で延々と待たされ、トイレにでも行こうものなら戻っても座る場所も無くなってしまう有様でした。ですから、「中国は旅行をするにはまだまだ危険な所だから、10年位はこの国にやって来るのはやめておこう」と話し合ったものでした。

そうこうするうち、1993年のある日、中国に滞在中のグラフィックデザイナーの第一人者である田中一光先生から突然電話が入り、「中国の人たちが中西さんの話を聴きたがっているから、一度中国に来て貰えませんか?」とのお話でした。そういうことなら国家からの公式なご招待ですから、そんなには酷い接遇にはならないだろうと考え、そのご依頼を承諾して10日程の予定で講演に出かけました。


中央工芸美術学院での講演風景


要人たちとの会見風景

この時は、午前中は連日中央工芸美術学院(今の清華大学美術学院)での講演でしたが、午後には実にいろいろな要人に会わされました。
そんな中で驚いたのは、経済産業副大臣から、「わが国のCIを指導して欲しい。この国は人が多いのだから、誰もが理解してから始めるというのではなく、解る人が解っていればそれでいいのだ」との発言があったことです。日本で「解らない人は放っておけばよい」などと大臣クラスの人が言おうものなら、大きな社会問題になるだろうに、と思いました。
もう一つ印象に残っているのは、1993年頃の北京の街中は、自転車に乗った人々の大群が黙々と移動する中、けたたましくクラクションを鳴らしっぱなしで猛スピードの高級車が走り抜けていく交通事情でした。加えて、北京の繁華な通りでも時折のんびりと荷馬車が通るのが珍しくもない光景でもありました。
それに比べると、今回の訪問時の送迎は高級車ベントレーで、私はロールスロイスに乗った経験はあったのですが、この車は初体験でした。


玄関口の送迎用ベントレー

そして、かつての中国の様相で忘れられないのは、中央工芸美術学院訪問時は、講演にしても歓迎パーティにしても、いわゆる「集会」ですから、必ず共産党の監視員が立ち会っていたことです。名刺を渡しても殆ど無表情で、ただ立って睨んでいるだけの人物に四六時中監視されているというのは大変気持ちの悪いものでした。やがてこうしたルールは無くなってくれましたが・・・。

このたびの訪問では実に丁重に接遇いただいたということもあり、否応なしに昔を思い起こし、まさに隔世の感ありと感慨無量の思いだったのです。



投稿者 Nakanishi : 2017年08月10日 18:59