中西元男 実験人生
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COMMENT

« イスラムを知らないと今後のデザインもビジネスも出来ないメインオリンピックエンブレムデザイン、ますます秀作生まれ難い方向へ? »

2020東京オリンピックと「日本デザイン界の大きな時代遅れ」

2015 / 9 / 1


問題多き2020東京オリンピックエンブレム

陸上競技場建設やエンブレム・デザインなど、2020年東京オリンピックに関して次々騒動が起こり、問題の依拠するところが明らかになりつつあります。
私もこの件に関して様々な方々から私見を求められることが重なり、その多さに正直なところ困惑もしておりますが、ここで見えてきたことの根本は、わが国のデザイン界そのものが、はしなくもその時代遅れの発想と体制を露呈してしまったことであると、私自身は感じております。

要は、この世紀のイベント東京オリンピックで、デザインが一体どのような役割を果たすべきかという、戦略や目標のデザイン自体が策定されていないことが驚きです。言い換えれば、アイデンティティ・デザインが全く成されていなかったことが顕在化してしまったのだと思えます。
これでは、デザインコンペに参加するデザイナーも、またそれを審査する側も、作品主義的な制作や印象審査を行う以外になく、その意味では、今回の諸騒動は事前に十分想定できたにもかかわらず、好ましくない結果が到来してしまった、としか言いようがありません。

企業のCI開発デザインでは、通常、存立理念・事業目標・開発計画に基づき、候補案のスクリーニングチェック項目(機能軸/イメージ軸/システム軸)等々を予め策定しておきます。その上で、デザイン開発を進め最終候補案を絞り込んでいくのが通例です。スクリーニング項目には、当然、法的チェック/予算/決定後の活用計画/運用管理マニュアル化などの諸項目が含まれます。
その際に、機能軸の中には権利保護に関わる法的チェックと、もう一点は著作権問題に対する対応も含まれます。商標権はかなりのところまで確認が出来ますが、著作権やその利用権となると、通常はグローバルレベルでの完全な事前調査などほとんど不可能と言ってよいでしょう。
それゆえ、かつてPAOSでお受けしたあるクライアントの場合では、開発した社名ブランド(ネーミングとロゴ)が、将来的に全世界で使っていきたいとの目標を持つものでしたので、使用上のリスクやトラブルを回避するために、コーポレートブランドという形で5年間使用してみて、世界のどこからも異議の申し出等が無かった結果をもって、正式に社名変更に踏み切ったという事例さえありました。

世の中には、知らないところで偶然似てしまったデザインというものは結構あるものですが、著作権に関しては調べ尽くしようが無いといっても過言ではないでしょう。
ベルギーのデザイナーが使用差し止めの訴えを起こしたとの報道もされていますが、いわゆる一流と呼ばれる程のデザイナーは、同じようなデザインが存在していることが事前に分かった場合、むしろそれと似たものは避け、別種のデザインをするのがクリエーターとしての矜持であって、真似や偽作などといった行為は敢えて避けるでしょう。
そして、このたびの件を端緒に他の盗作・偽作等の指摘があれこれなされたりしていますが、デザイン開発に従事する組織は、日常的に倫理観や管理体制には最大限の留意をし、著作権問題が起こらないように徹底して対処しておくことが不可欠と言えます。

ともあれ、重ねて申し上げますが、わが国には、このたびのオリンピックのデザインにおいて、デザインでどのような目的を達成しようとするのかの理念や戦略が存在していなかったことだけは、次々と明らかになっていく関係者の皆さんの発言を聞いている限り確かのようです。
これは、「デザインからデザイン思考へ」と、ようやくデザインが次なるレベルへと進化しつつある今日において、デザイン界そのものはまだまだ作家作品主義から抜け出せていない証拠でしょう。デザインアートはあってもデザインインダストリーへの眺望が見えていないのです。
オリンピックのような大イベントや大企業のCIのような、イメージ発信力の強いアイデンティティ・デザイン計画においては、通常、場当たり的な「部分最適」以上に、いかに「全体最適」を優先するかが重要です。しかし、どうやら今回生じている諸問題は、そうしたソフトとしての総合デザインが忘れ去られたまま、それぞれの表現やハードとしてのデザインばかりが、まるで重箱の隅をつつくような形で対処され、その結果起こってしまったことが問題視されているとしか思えません。

公的なビッグプロジェクトにおいては、いくら商標登録などを調べ上げても、そこでは表面化してこない類似例が出てきてしまうものです。かといって個人商店や趣味の会のような、いわゆる局所的に使われているものまで世界中くま無く調査することなど出来ようはずがありません。それでもマスコミは、概ねそうしたところからの著作権主張が現れるとデザイン盗用と騒ぎ立てますから、イメージやデザインのように定量的に価値測定ができない世界での裁量は難しいところがあります。
ただ、今回の問題に関しては、起こってしまってからではなく事前に対処しておける予防医学的な方法論や策が、十分に考えられた筈です。

私の仕事で言えば、現在使用されている亀倉雄策先生に依頼したNTTのロゴ決定の際も、似たような類似主張が7件ありました。
ただ、NTTシンボルの造形は、本来、数学の世界でトロコイド曲線の中の無限運動閉曲線と呼ばれ、17世紀に既に数式化されたものと学生時代の研究で判っていました。そのため、法的に争うまでもないことなのですが、それでも著名新聞の地方版などでは地元の商店レベルの事例まで採り上げ、デザイン盗用と騒ぎ立てました。
こうした表現上の造形的類似の存在は完全に調べきれるものではありませんし、前述の如く、日本を代表するクラスのデザイナーが、承知の上で造形的盗用を行うなど考えられません。

私が問題にしたいのは、今回の東京オリンピックに関わるデザインに関して、計画的・戦略的・長期的コンセプトが存在していなかったこと、そしてわが国がそれほどデザイン後進国であったということです。
大体シンボルマークやロゴのデザインで、それ一つで完全な目的達成形状などありませんから、通常は核になるデザイン要素が決まると、それを補完するサブエレメントやサポートシステムを用意していきます。キャラクターの採用などはその典型例でしょう。
今回決定した東京オリンピックのエンブレムデザインが次第に使われ始め、街中でもお目に掛かりますが、その使用状況で見る限りでは、協賛企業のロゴの方が主役に見え、肝心のエンブレムが脇役か背景(サブシステム)に見えてしまい、主客転倒のデザインのように私には思えます。


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実際の使用事例、どう見ても協賛企業のロゴの方が主役に見えてしまう

私の手許に、1972年にドイツで行われたミュンヘンオリンピックのデザイン・マニュアルがあります。これはその時のデザイン総責任者であったオトル・アイヒャー(Otl Aicher, 1922〜1991 )自身からもらったものですが、実にドイツ人らしい審美性とシステム性の配慮が行き届いた優れたシステムで、ミュンヘンオリンピックに関わるデザイン関係者の誰もが一つの方針に沿ってデザインができ、その結果や集積が総合的な個性と発信力を持ち得るようまとめ上げられています。


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ミュンヘンオリンピック デザインマニュアル

このように、総合的な全体最適が優先されるアイデンティティ・デザインで最も重要なのは、「目の人」としての総指揮者の存在です。これはオーケストラがどんなに名演奏家を揃えてみても、優れた指揮者なくして見事なアンサンブルなど生まれ得ないのと同様です。
今般のオリンピックとデザインの関わりにおける根源的な問題は、最も重要な「デザインのトータルパワー」というポイントを理解している人物が、デザインに関わる内外関係者に存在しなかった、ということに尽きるでしょう。
まさに「今しか考えない日本人」「見事な部分職人としての日本人」の露呈としか思えません。
2020年東京オリンピックは、デザイン思考やシステム思考においては、50年前の東京オリンピックよりむしろ遅れているのではないでしょうか?

この際いっそのこと、1964年東京オリンピックの亀倉デザインの年号だけ変えて、再活用してみては?とも考えています。



投稿者 Nakanishi : 2015年09月01日 20:50