中西元男 実験人生
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松屋銀座山中竡ミ長(想い出の名経営者2)

2015 / 4 / 7

PAOSを設立以来、既に100社を越える企業のプロジェクトに関わってきましたから、いろいろな方から「永年にわたり多くの企業経営者とお会いになって、一番素晴らしかった方はどなたですか?」との質問をよく受けます。
ですがこれは決して比較など出来ない問題で、私にとってはお付き合いのあったどなたもがそれぞれに個性的で、能力的にも実に優れておられ、流石、大企業のトップにまで上り詰められる方は凡人ではない、との思いを強く持っています。

そうした中で,敢えてご紹介したい方を選ぶとすると、銀座松屋百貨店の経営立て直しに助っ人として入られた山中(カン)社長が、最も強く印象に残る方のお一人です。


松屋マーク旧新


対談中の山中社長

CIの仕事をお受けするにあたり、初めてお目に掛かった山中さんは、「中西さんねぇ、この店は放っておけば確実に潰れる、やったことが少しでも失敗したらやっぱり確実に潰れるから、あなたねぇ、是非、思い切った提案をして貰いたいんだ」と言われたのでした。
このような凄い仕事発注の仕方は、後にも先にも無かったと言えます。今から振り返ってみますと、実に見事な動機付け、人の使い方であったと思い起こせます。
確かに、その前にPAOSに訪ねて来られた松屋の経営の中枢にあられる方からは、当時の横浜本店や船橋新店を売り払った状況下にあって、「ともかく銀座一店を何とかして貰えまいか」と最初に言われましたから、経営は相当の困窮状態にあったことは想像していました。それにしても、山中さんの上記のひと言は「覚悟を決めて掛かって欲しい」の強いメッセージであったと思いますし、事実、当時わが国の小売業の中でも、百貨店ビジネスは年率20%以上もの勢いで伸びるダイエーなどチェーンストアビジネス(俗にいうスーパー)に押しまくられ、都内百貨店の平均伸び率は3〜4%位の状態でした。「百貨店の時代は終わった」とも言われ、まさに消え入りそうな状況にありました。中でも銀座で地域一番点と称されてきた松屋の伸びは、対前年97%のマイナス成長でした。
1977年のことです。

山中さんは、松屋に来られる前は新宿の伊勢丹の専務をなさっていて、今日の伊勢丹のファッション路線の礎(いしずえ)を築かれた方です。そんな凄いキャリアに加えて松屋の再興を果たされたわけですから、鬼籍に入られた(1999年逝去)現在でもなお、「ミスター百貨店」と讃えられています。


日本経済新聞記事

その当時の百貨店は、主に呉服屋を起点とする「老舗系」と、ターミナルを拠点とする「電鉄系」に大きく分けられました。
松屋は当然老舗系で、マークもいわゆる反物の巻き芯に入っていたことから由来する肉太でシンメトリカルな、典型的な百貨店マーク(下図参照)でした。もともと松屋と鶴屋が統合されて出来た店であったため、松鶴(しょうかく)マークを呼ばれていました。


当時の旧百貨店マーク

このような古風な象徴記号を使いながら、その一方で「ファッション」や「ニューライフスタイル」などと盛んに発信していること自体、どこかチグハグではないか?と私には思えました。
そこでこれら百貨店の典型的なマークをNY(ニューヨーク)に送り、何も知らないNYの人達に「これを見てどのような業種を想像するか?」と尋ねてもらったところ、圧倒的に多い答は「Heavy Industry(重工業)」でした。ファッションとなんらイメージ連動がありません。
調査段階ではその他各種の調査を致しましたが、結論として私たちが考えるに至ったのは「もう一度松屋が元の老舗型百貨店として蘇るのは無理、資金が掛かりすぎる」ということであり、それなら思い切ってこれまでには存在しなかった「都心型百貨店」というコンセプトで、ロゴから品揃え、サービス対応などを全て一新してはどうか、という提案でした。


090911_w.jpg

依頼を受けた当時の松屋の売り場(店内あちこちにSALE幕だらけ)

そのため第1回目の提案では、冒頭で松屋が全く新しくなるための一つの象徴行為として、先ず昔からの「松鶴マークは一旦棄ててしまってはどうか?」との思い切った提示を致しました。
その場には20人ほどの再建委員会の皆さんが揃っておられましたが、一瞬、場は白けきり、「何をありえないようなバカなことをいうのか?」といった雰囲気になってしまいました。これは皇室で言えば菊のご紋章を棄てよと言われているようなものですから、当然とも言える反応で、「ああ、これでこのプロジェクトも終わりかなぁ」と思った瞬間、山中副社長(当時)がすっくと立ち上がられ、「そうだ、こんなものは葬式のマークにしてしまえばいいのだ」と突然言われたのでした。
鉦太鼓(かねたいこ)で三顧(さんこ)の礼をもって迎えた助っ人であるこの山中さんの発言には、どなたも反論できず、その後に続くところの私共の用意した各種の戦略提案は、すんなり全てが受け入れられることになっていきました。

その後は山中さんが社長・会長として陣頭指揮をお取りになり、後に東武百貨店に行かれるまで、10年余にわたり、私たちはイメージ・マーケティング・マネジメント戦略のお手伝いをさせて頂くことになりました。最初のご提案を起点とする松屋の業績は、それまでのマイナス成長が嘘のように、約3年にわたり対前年同月比で連続2桁成長を続け、一年半で復配にこぎつけ、その後も銀座を代表する百貨店として群を抜いた存在になっていかれたのです。


※都内百貨店平均とのあまりにも顕著な差を注視下さい

上図に見られるように、唯一抜きん出た松屋の売上増進は、やがて当時低迷していた銀座の街に活性をもたらし、次第に百貨店業そのものも再興していくことになります。

私共PAOSは、提案をしていくこと自体に存在価値がありますので、当然、次々と各種の企画やデザインの提案を為していきましたが、判断と決断は経営者の仕事ですから、こうした実績を生み出されたのは、まさに山中社長の好判断とリーダーシップの賜です。

同時に山中竄ニいう経営者は、歯に衣着せぬ激しいもの言いをされる方でしたが、その内容は聞く人に判りやすく、部下の皆さんも叱られながら好きになってしまうという不思議な魅力の持ち主でした。それはマスコミ・ジャーナリズムの人達も同様で、「山中さんの話は分かり易い」「山中さんを男にしてあげて下さい」等々の声が寄せられるなど、大変心情的に人気のある経営者でもありました。
それだけに早世が惜しまれ、その後の小売業乱世時代を見るにつけ、もし山中さんが生きておられたらどうされたかと何度も思い起こしました。



投稿者 Nakanishi : 2015年04月07日 19:54