中西元男 実験人生
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COMMENT

« 35年振りの講演会場、11年振りのソウルメイン「スーパー人間力講座(STRAMD)」でビジネス人生に変革を! »

デザイン! 新しい時代に入る

2015 / 1 / 7

新年あけましておめでとうございます。

2015年1月17日㈯、早々に新春講演を致します。
詳しくは下記をご覧下さい。

「STRAMD公開シンポジウム」ご案内
http://stramd.asia/20150117_open.pdf

昨年は、デザイン分野が世界的に新しい段階に入る階(きざはし)の年でした。Design Thinking(デザイン思考)を流行らせようとの動きなどは、中身はともあれ、その典型行為の一つでしょう。でもデザインの本質や可能性を見直そうとの動きは、今年一段と強まると見ております。
今や渦中にあるとも言える時代や社会のメガ・チェンジの中で、
私たちが、果たしてデザインがインフラ(社会基盤)になり、時代を動かし牽引していける分野と成し、大きな存在価値を占めていけるか否かの動向に興味があり、使命も感じます。
時代が工業化・情報化・網策化と進み行く中で、依然としてモノづくりやモノレベルの表現主義から抜け出せない、言い換えれば、所詮、工業化時代発想から抜け出せないデザイン界の状況を、「実に勿体ない」の思いで見ております。

昨年、久し振りに韓国に出かけ、いろいろ見聞きして大いに考えさせられるところがありました。
1998年のIMF危機を境に、韓国のデザイン政策がまるで変わりました。わが国のGマーク制度に限っていえば、マーケティング的に主催者と企業側が相互かつ部分的にうまく利用し合っている状況ですが、大きなデザイン界の流れとしては、むしろ韓国に置いてけぼりをくっている感が深いとの思いを持ちます。今や韓国では、年間に3万6千人ものデザイン大学生が卒業してくるそうです(わが国はその1/3にも満たない?)。それが今日の経済状況悪化の中では、結果として、過当競争やデザイン料のダンピングを生み、それはそれで大きな問題のようですが、デザインを活かした都市造り、企業活動などでは、明らかにわが国より一歩先を行く兆候が感じられます。

たとえば、今回、ソウルで見て回った、ザハ・ハディド(わが国でも新国立競技場で賛否両論)のddp(デザイン博物館)や、高速道路を取り去り元の川に復元した清渓川(チョンゲチョン)の散策道、新ソウル市庁舎など、賛否はともあれ、随分思い切ったデザイン都市への象徴行為です。(下掲写真)


090911_w.jpg

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私がそれ以上にこのたび驚いたのは、韓国を代表するデザイン&アートなどの文化系教育機関:弘益大学で、「デザイン科の入学試験で実技を一切止める」というのです。理由は「デザイン界には、頭の良い教養ある人材に入ってもらいたいから」とのことで、4年間あれは表現面は素人でもある程度のレベルに達すると考えてのことだそうです。随分思い切った手的デザイナーから頭脳的デザイナー優先への方針転換ですが、問題の根はわが国でも同じではないでしょうか?
今のままでは、デザインの重要性は社会や産業界でどんどん広く認められる傾向にあるものの、それに伴って、デザイナーという職能はどんどん下請化・部品化していく傾向が否めません。


STRAMDで目指すデザイニストの養成

かつて、デザイン界の天皇とも称された亀倉雄策先生が「日本のグラフィックデザイナーで、一流企業のトップと話が出来るのは、私と田中一光がネクタイを締めた時だけだ」と述べられたjokeは秀逸でした。デザインを広く活かしていくためには、企業の経営者や自治体などのマネジメント層の人達と、対等に対話や意見具申が可能な知的水準や経営知識の持ち主こそ重要だ、というのです。しかし昨今のわが国のデザイン界の状況を見るにつけ、最早これを冗談と看過できない状況に至っているのではないでしょうか?
ここで語られたことこそ、成熟化時代にしてクラウド型網策化時代のデザイン界に求められている人材像でしょう。

こうしたマクロ観をもって見れば、韓国をはじめ、台湾もユニークなデザイン育成策を持っていますし、それを追う中国までもが、国家が10年先を見据えたデザイン政策を持ちその具現化に努めていることは確かで、この国でのデザイン大学の数はここ10年間で1,000校以上も増え、国家の積極的なバックアップもあって、いまや2,000校程の大学には何らかのデザイン科が設けられているそうです。
これらアジアの近隣諸国に比べると、わが国のデザイン教育政策は乏しいというか時代遅れなもので、未だに美術教育の延長上の「作家作品主義」の基本から抜け出られていないように見えます。
Gマークの民営化時に審査委員長をお引き受けした際、私は将来を考えて「新領域部門」を設けました。それはそれで部分的に機能しているようですが、どうもデザイン分野の次なる分野拡大に繋がる概念や制度の拡大にまでは至ってないようです。
これでは、デザインと企業経営や事業開発といった、経営の根幹に関われるデザイン人材は生み出し得ません。優れた作家型デザイナーが、象徴商品と呼べるグッドデザイン商品を生み出すくらいが関の山と言えましょう。

さて、手的デザイナーから頭脳的デザイナーへの広がり、この問題はわが国では、今後、どう捉えればいいのでしょう?文部科学省や経済産業省に産業構造的なイノベーション計画や見通しはあるのでしょうか?その指針が無い限り、いわゆるデザイン・アートは次々生まれても、デザイン・インダストリー(産業)が育ち行く可能性は望めないのではないでしょうか。

今後のためには、ここはどうしても一流企業や世のトップ層の人たちと共に、デザインや美意識・文化意識を活かせる人材が育って欲しいところです。韓国などでは気づき始めたデザインの在るべき次世代に、わが国でも知覚洞察して欲しいものです。

わが国を始めとするいわゆる先進国が、成長時代から成熟時代に入り行く現況下、中国やインドのような量的大国にはなり得ない国日本に残された可能性は、「知的美的大国や、その指標に向けての経営モデルの確立」以外に歩む道はないのではないでしょうか?
我田引水にはなりますが、そうした現実的可能性や拡デザイン方法論はPAOSが数十年かけて十分に実証してきたところですから、参考にしていただければいいのです。

ささやかながら、「STRAMD(戦略経営デザイン人材育成)」という実験教育機関を立ち上げたのも、そうしたデザインの可能性拡大の端緒になってくれれば、の思いからです。
私はデザイン教育を美術教育の延長上「だけ」から解き放てば、わが国の人材育成も、結果、日本という国の存在価値も、十分に変革しうると考えています。

人が「体力+知力+感力」のかたまりとして日々の営みを行い、中でも諸々の最初の接点は常に「感力」から始まることは明白です。それ以上に、わが国にはそのことに気づき独自の文化を築き上げてきた江戸時代までの豊かなDNAが潜在しているのですから、それを前提としたデザイン教育で、成熟化時代の新しい国づくり・人づくりが出来ないはずはありません。


新時代のデザインパラダイム



投稿者 Nakanishi : 2015年01月07日 23:23