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NTT真藤総裁&社長(想い出の名経営者1)

2014 / 11 /14


真藤恒総裁による民営化NTTブランド発表式

・多くの経営者の方々との話し合い
PAOSという会社を起こし、企業経営の理念や経営方針といったソフトのデザインから始めて、ハードの表現デザインに至るまで、美意識を幅広く活用していこうとの試みを続け、45年余の歳月が経ちました。
振り返ってみますと、その間に、実に多くの経営者とお会いしてきました。想い出に残る方々を思いつくままに列記してみましても、書き残したい方の数はゆうに20人を越えてしまいました。特に私の場合は、それらのトップとは結構長い時間や多くの回数にわたり、個人的にお話をさせて頂いたという貴重な体験を持ちます。その内容は、わが国の経営史的側面あるいは裏面から見ましても稀有なものであり、時に大きな意味を持つ内容を含むのではなかろうか、と思います。
当然のことですが、お目に掛かった方の多くは、大先輩ですから既に鬼籍に入っておられます。私自身もいつ天からお召しがあっても不思議ではない年齢になってきました。お話をさせて頂いた諸々の内容には、いま私自身が書き残して置かないと多分後世に残らないであろうと思える事象や言葉もあります。中には、個人情報に関わる部分も含まれるのかもしれませんが、支障が無いと考えられる範囲で、事実談を残しておこうと考え始めました。
折を見て書き連ねたいと考えておりますが、拙稿はその第1回目ということになります。

・電電公社民営化とは、サービス業化であるべき
今月(2014年11月)は、電電公社民営化が正式に国会承認されてから丁度30年目になります。本来は9月に国会で議決される予定になっていたのですが、与野党の駆け引きとやらで2ヶ月延びてしまったのです。
わが国最大級の国営企業民営化であり、従業員数約32万人(下部構造の工事業者なども入れると約100万人規模)、全国の電報電話局1,700ヶ所という大所帯でしたから、準備作業も大変で、既に決定している事実をなるべく隠密裏に進めるというのは、私共PAOSにとっては正直なところ大変迷惑なやり辛い事態でした。翌年(1985年)4月新会社発足はもはや動かせない既定事実でしたから。
わが国の電気通信事業は115年間官営で、その最後の組織体である電電公社が幕を下ろすということは、言葉では簡単ですが、日本電信電話株式会社(NTT)への民営移行という、現実は、相当な大改革であった訳です。


社名・ブランド変更記者発表会場
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電電公社からNTTへのサイン取り替え工事現場

NTTといえば、私はサービス業化の問題が常に頭に想起されます。
私自身はその後1992年に、日本移動体通信網つまり携帯通信事業の新会社設立プロジェクトに、ネーミングやロゴデザインで自ら関わったという事実から、携帯電話は今もドコモを使っていますが(15年も使ったPAOSデザインのロゴは残念ながら今では変わってしまっています)、正直、これまでもドコモのサービスのあまりの悪さに何度も継続の気持ちが切れそうになり、他社に替えようかと考えながらズルズル今も使い続けています。
84年当時、電電公社の真藤恒(1910〜2003)総裁に、「“官営から民営へ”とマスコミは書き立てていますが、本当に必要なのは“官営業からサービス業”に変わることではないでしょうか」と問いかけ、大いに賛同を得たのも思えば30年前の丁度今頃のことでした。
しかし、その後のNTT docomoが意識・体質両面で真剣に“サービス業化”を目指しているとは私には未だ思えません。この会社は、もう一度、相当思い切った企業理念レベルからの大変革を施さない限り、競合2社への競争力を持った革新は図れないでしょう。今さら私個人が考えても仕方の無いことですが、当分、切歯扼腕の思いは続きそうです。
永年培われた企業体質というかお上(かみ)体質そのものはまさに頑迷固陋(がんめいころう)と言えます。
世の中、全ての産業がサービス業化、そしてホスピタリー業化していく流れの中にあって、ドコモほどの公的存在価値を持つ企業が社会性や市民性の好事例になれないのは実に勿体ない話です。

話は遡りますが、電電公社の民営化に向け、指名コンペティションが実施されたのは1984年2月のことで、PAOSも競争指名を受けた全7社の中の1社でした。内容は民営化に向けてのCI開発の企画コンペです。
結果は5月に正式発表されたのですが、この時は、提出期限の1週間前になって、突然、競合の1社でもあった電通から「共同提案」の申し込みを受け、結果的にはいくつかの事後の約束事のもと、電通・PAOSの名前で企画書を提出しました。
企画内容は私共が15年余に渡り築き上げてきたPAOS流CIのノウハウのかたまりでした。下図がコンペの際の提案書ですが、いま見返してもなかなか素晴らしい出来の企画書だと思えます。


企画提案書表紙と開発計画フロー案

しかし、残念ながら電通とのほとんどの約束は実行されませんでした。同社とのコ・ワークはその後一つもありません。
全ては過ぎ去った昔のことですが、仕事相手はやはり慎重に選ばなければなりません。いい教訓です。
ただし、大阪電通とはこれより10年も以前から良いパートナー関係にありました。

・真藤総裁との初会見
さて、正式に民営化プロジェクトを受注することになり、電電公社から真藤総裁と一度正式に会見して欲しいとの申し出を受けました。与えられた時間は45分間とのことでした。
その際、真藤総裁のことをよくご存知の電通のディレクターから受けた忠告は以下のようなものでした。
「中西さん、時間は45分もらっていますが、実際に中西さんが話せる時間は15分位だと考えた方がいいですよ。真藤さんという人は、話の途中でも、すぐに遮って『それはどういう意味か?』とか『私はそうは思わない』と言い出す方だから、そのつもりで臨んだ方がいいでしょう」と。

民営化の前提のもと民間から招かれた真藤総裁は、もともと石川島播磨重工の社長であり、技術者として「シントウ船形」なる、世界的にも有名なモデルを造り上げ、ミスター合理化とも呼ばれた方です。電電公社の職員の人たちに、「君たち、電電語でしゃべるな。日本語でしゃべれ」とよく雷を落としておられました。正直なところ、CIのようなイメージや表現を活用する柔らかなビジネスモデルが、こういう硬派の方に理解されることは難しかろうと、私も腹をくくって会見の場に臨みました。
ところが、「電電公社民営化にとってCIプロジェクトとは、」と説明を始めてから10分経っても20分経っても、総裁からはひと言のご発言も無いのです。顔はまるで苦虫を噛みつぶしたような表情でしたから、「ああ、これはきっとご機嫌が悪いのだ」と思いながらも私が話し続けていたところ、途中で秘書の人がメモを持って入って来られ、それをチラッと見た真藤総裁は、もう怒りでいっぱいというような態度で席を立たれました。15分位して戻ってこられ、「いやぁ、中座をしてすみませんでした。人がせっかく良い話を聞いているのに、国会議員が訪ねて来たぐらいで呼びに来よって。すみません続けて下さい。」と言われ、結局1時間半も私は話し続けることになったのでした。

その後はプロジェクトの進行に伴い、節目ふしめでお会いしご報告することが度々ありましたが、いつもご機嫌で、大部分の提案はそのほとんどが認められていくことになりました。


真藤総裁への亀倉先生ご紹介と経過報告談話風景

それらの中で、未発表もののエピソードを一つご紹介してみましょう。
NTTの新しいロゴ(これは後にダイナミックループと名付けましたが)やCIの進捗状況のご説明を真藤総裁にした時のことです。
この時は亀倉雄策先生のご紹介も兼ねていたのですが、新ロゴデザインをご覧になりながらの総裁は終始ニコニコとご機嫌で、「休みの日に孫が庭を走り回っているようでいいねぇ」と感想を漏らされました。
確かにダイナミックループは、亀倉先生は中世の星座の本からモチーフを選ばれデザイン化されたものでしたが、数学の世界では「無限運動閉曲線」とも呼ばれるものでした。この図形は、近代数学では17世紀にパスカルが既に公式化している純然たる数学図形で、いわゆる無限大∞の8の字の片側がどんどん小さくなり、遂に内側に向かって回転運動を始める造形であるため、シンメトリーで本来静止図形であるにも関わらず、常に動きを感じさせる曲線だったのです。
真藤総裁はそうした動きを、可愛いお孫さんが遊ぶ姿と重ね合わせ連想されたようで、気に入って頂けたのは何よりでした。しかしこのような話をうっかり外の人に漏らすと、当時、超話題のNTTの新しいロゴのことですから、「真藤総裁は孫の遊びなどといった私的な理由でシンボルを決めたのか」と、まさにマスコミ等の格好の餌食になりそうでしたから、この感想は徹底して伏せておいたという経緯があります。


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ダイナミックループ(マニュアルページ)とCISツリー

その他、NTTという三文字商標がよくぞアメリカの権利問題をクリアして商標権を取れた、という話など、今となっては逸話ともいえる話題等エピソードは沢山ありますが、ここでは「丁度30年前の記念すべき時」の経営者とのやりとりをご披露し、記憶と記録に留めたいと思います。



投稿者 Nakanishi : 2014年11月14日 10:43