中西元男 実験人生
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娘、海外に赴く

2014 / 1 /21

決まっていたことですが、娘がカナダはトロントの研究所に就職し、年明け早々に出かけてしまいました。
あまりプライベートなことはブログには書かないのですが、今回は自分史的にも特別に記念すべきことなので、この際思い出も含め書きとどめておきます。


成田空港から出国していく娘

生まれて20数年間一度も親元を離れて生活したことの無かった娘が、会いたくても直ぐには会えない外国に行ってしまう寂寥(せきりょう)感は、何とも例えようもなく寂しいものです。

彼女は桃の節句、3月生まれの女の子だったので「もも momo」と命名しました。「中西」の漢字が角々して固いので少しでも女の子らしくやわらかいイメージを持って貰えるようにと、ひらがなで、ももと名付けたのです。同時にMOMOだと海外に出ても、どこの国でも同じ発音で呼んでもらえ、親しんでもらえるだろうとの思いもありました。私の名前がMOTOOで最後に母音が二つ続くものですから、親しくなった欧米の人がファーストネームで呼ぼうとして、「モッツゥー??」などと、言いにくそうに苦労する場面に何度も遭遇し、子供にはそういう思いをさせたくない思いもありました。
 
3月の末の生まれでしたから、幼稚園から小学校低学年の頃は同学年の子供達と比べても幼くて、いろいろままならない自分に直ぐに感情を爆発させることの多い子供でしたが、日常の殆どは実に明るく楽しげで、何ごとにもまるでもの怖(お)じしない、まことに感情表現豊かな、まさに天衣無縫という言葉がピッタリの女の子でした。


ももが3才の時描いた私のポートレート

彼女が小学校に入って間もない頃、週末はいつも湘南の海でクルーザーを出して楽しんでいたのですが、あるとき急な前線の通過で海上が突如荒れ始め、同乗の大人たちは少し肝を冷やしたのですが、幼い娘だけは全く動ずる気配も見せず、大きく揺れる船上で楽しそうに大声で歌を歌っていて、周りの大人達を驚かせたこともありました。長じてからはどちらかというと、何ごとにも失敗したくないと思うむしろ完璧を期すタイプの慎重居士になっていき、その変わり方にも脅かされましたが…
 
そのようなこともあって、娘には専門の研究分野(遺伝子工学の一種、細胞生化学)に対しては「演繹法や帰納法も大切だが、それ以上に大胆な仮説法(abduction)こそ重視するように」ということと、「西洋科学の方法論はマトリクス型要素還元主義が基本だが、東洋的で自在なタコ足配線型関係性主義でものごとを捉えることも重要」と話してきました。所謂、網策(もうさく)型発想の要とも言える考え方です。
優れたドライバーほど遠くを見てハンドリングするといわれますが、一つの分野を究めていくのもまた同じだと私は考えております。

彼女が小学校を卒業する当時には、自宅の真前にある中学校が結構荒れていて、女子学生が制服のままプールに飛び込む様など眺めるにつけ、その公立中学に進むのは問題有りと考え、東京では俗に女子御三家と呼ばれる私学に入れました。合格した学校の中では、唯一制服を着なくても構わない自由な校風の、女子学院というミッションスクールです。なかなか良いデザインのセーラー服もあり、それも購入しましたが。
ここはサークル活動も盛んで、彼女は中・高と6年間演劇部に席を置いて熱心に活動していました。

もともと彼女が生後間もない未だ赤ん坊の頃から、時間の取れる限り寝る前にはいつも本を読み聞かせてやっていたものですから、3才になる頃にはひらがな・カタカナは殆ど読めるようになっていました。そのせいか子供時代から大変な読書家となり、中高時代は週に2,3冊は本を読んでいましたので、大学は文系に進むのかと思いきや、受験する段になると何故か理系を受けたいと言い驚いたのですが、無事東京大学に合格してくれました。その後9年間東大にお世話になりましたが、振り返ってみれば彼女の行動は、俗に「この国はもっとリケジョ(理系女子)を増やすべきだ」と話題になり始める先取りだったのかも知れません。

彼女が中学に入学したとき、私は「これからは親として必要なお金は出すけれど、自らやったことに対する責任だけは必ず自分で取るように」と言いました。勉強に関しては集中力があったせいか、中学・高校の6年間、私は参考書の一冊も買う必要がありませんでした。その意味では親としては手の掛からない子供でした。
大学に入った際も「今のところ同年代の上ずみには入ったのかも知れないが、東大には毎年3千数百人もの人が入るのだから、あまりいい気になるのではない。その道でわが国を代表するような人物は、10年にひとり出れば良い方だから。」と言いました。
そのせいかどうか判りませんが、大学時代は学士・修士・博士課程といずれも学部長賞などを戴きながらも、それでいてあまり堅物(かたぶつ)ではなく、よく演劇を見たり、永く吉兆でアルバイトをして和食に関わる諸々を見聞きしたりと、多彩な学生生活を送ったと思います。アルコールも結構いける娘でしたから、しばしば二人で飲みにも出かけました。
青春時代真っ只中の本人自身にはいろいろあったのだろうとは思いますが、傍目(はため)にはすんなりと進み、この度、彼女自身が最も望んだトロントの研究機関に3年契約で就職が決まり、ワーキングビザを取るのに少しく時間を要しましたが、無事出国の運びとなりました。詳しい研究内容は私にも理解できていませんが、彼女が専門とし従事する指導者の先生は、人づてに聞くところでは、遺伝子工学のその分野では世界でも3本の指に入ると言われている方だそうですし、ホームページで見ても研究所はおっそろしく立派でカッコイイ建物・施設です。
 
一般に父娘の関係は、いわゆる思春期に入った頃からのぎくしゃくしていく親子が多いようですが、私たちの場合は全くそのような時期はなく、内でも外でもいつも楽しい会話や時間を共にしてきました。母親が、常に脇役というかいつも道化役を務めてくれたのも大きかったと思います。


クリスマス夕食テーブルの母子


スパークリングワインを注いでくれる娘

娘とも話しながら度々思ったことですが、人はボケないためや、広い視野を持つためには、なるべく年齢を超えて話せる人間関係を大切にすべき、だと言います。
加えて、自らの人生に常に目標を持って生きること。
そして他人の喜びを我が喜びとすることなども、脳の健康維持には大切なのだそうです。
後期高齢者に仲間入りしてしまった私が一体どこまで仕事をし続けていけるのか判りませんが、年齢と共にもの凄い勢いで減少していく人の細胞の中では、唯一、直感力を司る細胞だけは死ぬまで増え続けるそうですから、これまでの経験を極力活かしながら、直感力だけは伸ばし続けたいもの、求められる諸事に寄与し続けたいものと考えています。幸い自らが専門とするデザイン・コンサルティングの分野でのご依頼は今のところ絶えず、実に忙しい日々を送らせて貰っておりますので。

「胆識(たんしき)」とはまさに名人上手の直感的判断力を指す言葉ですが、それを磨き続ける世界に己が入ってきたのだと、娘の成長が気づかせてくれる2014年、新年の幕開けです。

因みに娘の居るトロントは、今はマイナス20℃近くにまで気温の下がる厳寒だそうです。



投稿者 Nakanishi : 2014年01月21日 10:38