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« PAOS設立45周年にあたり
2/5 30年のロングセラー「DECOMAS刊行」
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PAOS設立45周年にあたり
3/5 企業の経営革新「核拡デザインビジネス」

2013 / 9 /19

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PAOSの目指したデザインビジネスでは、当初から、一人の作家がポスター1枚、パッケージ1個をつくるといった風な、いわゆる作品主義的な仕事の仕方や手法を避け、極力組織的にソリューションを探求するあり方を求めてきました。
デザイン・アート(作品)よりは、デザイン・インダストリー(産業)の確立をこそ目指したからです。
言い換えるならば、デザイン賞の取れる1点の作品よりは、街を埋め、生活を形成していくデザインレベルの質的向上を目標とし続けたのです。


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1979年、サインデザイン大賞をもらったPAOS入り口サイン

このデザインに対する考えは、Gマーク(グッドデザイン賞)民営化の際にも、基本理念「Gマークをわが国のデザインインフラと文化立国の出発点に」として織り込んだつもりです。

さてそのために、「どうすれば組織でデザインビジネスが行い得るか」「デザインで極力幅広く企業経営と関わりを持つには」「日本人の美意識の向上が図れるデザインとは何か」、そうした分野での研究と手法の探求、併せてそれに資するための啓蒙を重ねてきたと言えます。
PAOSはよくCIの専門会社といわれますが、今ではCIといえば、企業ロゴのデザイン表現を指すごとく、一般論的には視野狭窄的に捉えられるに至ってしまいました。これはある種、目先の金儲け主義にデザインが巻き込まれた結果といっていいかと思います。
「企業の存立理念や経営方針のデザインにまで関わるような面倒なプロジェクトにするよりは、目の前のビジュアルやブランドづくりレベルで金儲けをした方が楽だ」とは、私自身が某大手広告代理店のディレクターの方から直接聞いた話です。これではわが国企業もデザイン界自体もやがて脆弱化していくだろうとその時思いましたが、事実、今振り返っても、こうした近視眼的な商いの流れの結果が、どれ位デザインビジネスの可能性の広がりを奪ってしまったか。そうした考え方は、アップル社がスティーブ・ジョブスの経営にデザインを戦略的に採り入れる成功事例からも、今一度考え直すべき時に来ているのではないでしょうか?

PAOSでは設立当初より「知的美的経営」に代表されるビジネスジャンルの確立を目指して参りましたが、爾来45年、今もその考えや方針は変わっておりません。


PAOS提唱の知的美的経営

確かに「DECOMAS」出版以降、PAOSの業績は順調に伸びて大きな売上・利益も出て、当時は社員の給与水準も分不相応と思えるほどになりました。そのかわり社員には、PAOSにいる間にいつ外に出ても同じ給与が受けられる実力を付けておこう、と言い続けてきました。事実、後の方でPAOSに入社した人たちからは、「いつ会社を解散しても構いません」の誓約文を入れてもらっていました。

ただ、こうしたPAOS構想の実現が、ビジネスの世界で具現化を見たとの成功実証例を数多く示せるに至った一方で、知的美的経営のビジネスモデルの敷衍が、PAOS以外ではそう簡単ではないことも、45年の歳月が教えてくれているところです。
これをどう継承していけば良いのか、私にとっても大きな命題です。

これまでPAOSに社員として関わりを持った人数は、設立以来でおよそ200人を越えていると推定できます。その人達の中で、所謂PAOS哲学を全般的に具現化している人はほとんど存在していません。私が誤認しているのであったらごめんなさいですが、これは本当に不思議なことです。
ノウハウの部分活用や競合他社に知財権を開示提供して仕事をしている人は結構存在していて、これはPAOS入社に当たって提出してもらっている誓約書の明らかなる違反です。知財権盗用ともいえる証拠物件も手許にいくつか保持しているのですが、これを世間的に表立てるとまさに同業界にとっての恥辱ですが、それ以上に、そうして違反行為は行った本人が一番良く判っている事実ですから、今後とも罪の意識を背負って生きていくことになるのでしょう。
ただ、中に著名出版社から自著を刊行した元スタッフが2人いて、こうした開示禁止の資料の公表ばかりは許せませんし、明らかにクライアントとの秘密保持契約に違反し、迷惑を掛ける結果となっていましたので、当方の持つ知財権の証明を提示して、絶版にしてもらいました。思い起こすのも嫌な話ですが、これも事実です。
加えて、資料や絵画資産の持ち出しも有り、これらはいずれもわが国には一点だけしか存在しない物ですから、PAOSが所有していた根拠を示せばたちまち事実が明白になります。
また建物を建て替えた際の借入金なども、担当者や外部税理士は個人補償は無いとの理由で、私は自筆の署名すらもしないで任せたのですが、事実は全くそうではなく、バブル崩壊時に明らかになったのは数億円の借入金の個人補償でした。
裁判を起こせば半分くらいは担当者達の業務上背任行為にあたり戻るとのことでしたし、事実、担当税理士は仮病を使い事務所を畳んだと言って逃げ、個人補償は無いとの書面まで残していた経理担当者もそれ以降全く音信不通になってしまいました。
がその際の父のひと言、「仕事で実印を預けるということは命を預けるようなものだ」で、全て私個人で責任を取ることにしました。
その後は良い経理専門家にしてアドバイザーにも恵まれ、自分としては貴重な経験になったと考えています。

個人にしてもクライアント企業にしてもそうですが、誰しも良いところばかりがあるわけでは無く、当然恥部と思えるような事実があるものです。
「中西さん、歴史のある有名企業のトップとは刑務所の塀の上を歩くようなもの。内側に落ちれば罪を問われ、外側に立てれば名経営者と言われる。」とは、ある名門企業経営者の方から、社長を退かれる際の会食時に直接聞いた言葉ですが、仕事人生そうそう簡単では無いと痛感しています。

このように45年の間には、当然良いことも悪いことも数多くあったのですが、本来、PAOSが目指した「極力、デザインの可能性を探る」という話が書くべきが、ここでの本論です。

創業以来私たちが目指してきたデザインやそのビジネスの目標については冒頭に記しましたが、汎デザイン運動ともいえるものです。
それを総称して「核拡デザイン」と称してきました。
「核」デザインとは、デザイン存立のコアとも呼べる軸となる使命で「1.審美性 2.快適性 3.安全性 4.倫理性 5.個性」の5軸の探求を指します。
「拡」デザインとは、デザイン思考を企業経営や自治体経営と結びつけ、その効用を極力拡げていく指針と行動を指します。



こうした構想をもとに、PAOSは既に100社を越える企業のプロジェクトに関わってきました。小さなところでは2人や3人で始まったスモールオフィスから、大規模な事例では電電公社からNTTへの民営化、即ち従業員数32万人に及ぶ大組織まであり、一業種一社を原則としてお引き受けしてまいりましたので、実に様々な業種業態業容の体験をさせていただいて来たことになりますが、振り返ってこうしたPAOS流コンサルティングの原点と呼べるプロジェクトはと振り返ると、セキスイハイム事業の立ち上げ開発事例といえるでしょう。
積水化学工業の住宅事業として、画期的な鉄骨ユニット工法の住宅事業を「何とかして軌道に乗せたいのだが引き受けてくれないか?」との打診を受けたのは1972年の秋のことでした。
直接担当者の営業企画課長が。DECOMASの本を読み依頼に来られたのです。
確かに鉄骨ユニット工法住宅は、工業製品としては優れていましたが、まるで原石のような物で、当時の家に対する社会通念の中で、これを商品として、また事業として成功に導くのは至難の技に思えました。
ここでは詳しい開発プロセスの説明は避けますが、結果として私たちは「コンセプトブック(商品メリットと事業理念方針共有の書)」「業界情報ファクトブック」「ブランドコントロール規定書」「現・近・遠未来事業開発計画書」の4部作を企画提案し、これらの具現化で事業成功への道を拓いていくことのなり、今日ではTVコマーシャルでもよく目にするセキスイハイム事業が成り立っていったのですが、この時提案した諸施策をPAOSでは「4種の神器」と呼んでいます。
この際の実験的な試みや苦労が、結果的に後のPAOSコンサルティングの礎になってくれたのです。

セキスイハイム事業成功のための4種の神器

初期のセキスイハイム


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コンセプトブックと内容


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ブランドコントロール・マニュアル


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業界関連情報の集成、ファクトブック


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当初の経営課題と解決計画書

その後、私たちは多くの経営戦略型デザインコンサルタント・ビジネスを繰り広げて行くことになります。こうした独自ビジネスの多くの原点・出発点はハイムプロジェクトにあると言っても過言ではありません。

述べて来ましたように、初期のPAOSプロジェクトの起点はマツダ、セキスイハイムを嚆矢としますが、その後の45年を振り返ると100社余の企業などからご依頼を受け、デザインという切り札を経営コンサルタントとして実にさまざまな提案をさせていただいたことになります。感謝に堪えません。

100社といえば随分多くのクライアントを、といわれますが、45年で割ると年平均3社に満たない訳ですから、延べ企業数から申せばそれほどでもありません。
ただこの中には10年余を掛けた深掘りプロジェクトもいくつもあります。
クライアントのトップマネジメントに認められ、深いお付き合いが続いたようなケースで、内容は各社各様ですが、セキスイハイム、小岩井、松屋銀座、ベネッセ、ケンウッド、INAX、伊藤忠、ルミネ等々、幸いな事例が沢山あります。受注サービス産業PAOSとしては実に有難い話です。

PAOSのコンサルティングの最大の特徴は、多くのクライアントは企業ですから、当然、「生産機関・経済機関」として機能することへの貢献はいうまでもなく、加えて「文化機関」として、当該企業がどれ位その存在価値が果たせるかについても、提案し続けて来たことでしょう。この場合の文化とは生活・社会・環境等々の、広い意味での内外への貢献や機能を指しています。
言い換えれば、クライアントの、市場のメカニズム貢献に加え、社会のメカニズム貢献策にも、常に思いを馳せてきたということです。
そもそも企業が文化機関でも在るべきとの提言は、今残っている証拠としては、1974年の「中央公論 経営問題特集」の秋季号で発表しています。ですがこうした構想は、残念ながら当時ほとんど一顧だにされませんでした。


1974年「中央公論 経営問題特集」(当時よく読まれていました)

こうした雌伏と研究の次期を経て、やがて1980年、ベネッセ(当時はまだ福武書店)の「文化化」のキーワード提言となり、それが後に現代アートの聖地:直島に結実していきますし、INAXの経営指針提案「環境美」は、公園やショッピングセンターなどにおける公共トイレの美化・充実に大きな役割を果たしていきます。もちろんこれは単なる文化貢献に止まらず、やがてその行為が当該企業の企業価値を高め、リターンして現実のビジネスにも大きな影響を及ぼしてくれました。

PAOSでは、仕事のご依頼を受けると、先ず考えることは
 1.どうすればこの会社が期待を持って見られる存在になれるか、
 その次に
 2.どうすれば憧れを持って眺められる企業に成り得るか、
 そして結果的に
 3.どうすれば、尊敬に値する企業存在となれるか
を先ずグランドデザインとして想定します。
その際、どうしても文化機関としての企業存在価値の仮説無くしては、新しいアイデンティティなど生み出し得ないのです。

PAOS創業以来の経験から、企業経営とデザインという関係を考えてのわが国企業の半世紀を振り返るに、それは先ず「数の人」に始まり、「理の人」そして「目の人」「愛の人」への歩みというか広がりを積み重ねてきたといえようかと考えています。
「数の人」とは、確実に売上・利益を上げていくことであり、「理の人」とは、自社や業界固有の企業存立理念やビジネス哲学を確立していくことであり、「目の人」とは、生活の場や市場・社会の中で美意識や快適性を実現していくことです。加えて「愛の人」とは、人間愛・地球愛といった広い意味での人類愛や地球環境問題に自社なりの存立意義や責任を探求し続けていくことを指します。

デザインという分野の素晴らしさは、これらどの分野にも関わりを持て、貢献の可能性が期待できるということです。
しかも興味深いことに、デザインというマス文化と関わりのあるプロジェクト推進は、目先の市場的価値の追求だけで無く、社会的価値探求とも好循環系をもたらしてくれる事実です。

PAOSでは過去45年、実に多くのそうした成果を体験してきましたから。
これは取りも直さず、デザインを経営戦略の中枢に採り入れるとそういう成果が期待できるという証明に他ならないでしょう。



投稿者 Nakanishi : 2013年09月19日 11:36