中西元男 実験人生
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PAOS設立45周年にあたり
2/5 30年のロングセラー「DECOMAS刊行」

2013 / 8 /30

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元々は早稲田大学のデザイン研究会を母体に生まれたのがPAOSとその前身のアップ・デザインでしたから、1966年頃の起業当時はヒマさえあればデザイン系と経営学系の若者同士で、企業経営とマーケティングやデザインの関係について議論ばかりしていました。

ところが、変わった集団がいるということで、特殊な仕事が持ち込まれ始まることになりました。
その典型的なプロジェクトが、当時はまだ中小企業としかいえなかった東京電機化学工業(東電化=TDK)のブランドコントロールマニュアルの制作でした。これは、先進的なデザイン教育機関であり、バウハウスの後継といわれたウルム造形大学ご出身の村上輝義さんからのご依頼で、普段から同大学の機関誌『Ulm』を教科書代わりの研究材料にしていたわれわれにとっては大変ラッキーなプロジェクトでした。
加えて、村上さんの方でマニュアルの基本形は作れていましたので、われわれはそれに図書の分類に使われる十進分類法のコードを当てはめ、各工場間でもコードのやり取りだけで運用可能なようマニュアルとして仕上げました。すると運良くそれがデザイン誌に取り上げられることになり、その原稿を書くに当たって、この分野に何か新しい名前をつけようと考えました。


最初の著作「デザイン・ポリシー」1964年刊

その頃わが国では、このような仕事を「デザイン・ポリシー」と呼び、私も学生時代、浜口隆一先生(当時の日本を代表する建築・デザイン評論家)と共著で、同名の書籍を刊行させていただいたのですが、どうやらこの呼称は日本だけでこの分野に使われている、いわば和製英語であることが分かりました。そこで、新しく原稿を書くに当たって創作命名したのが、経営戦略としてのデザイン統合「(Design Coordination as A Management Strategy)」、つまり、『DECOMAS(デコマス) 』だったのです。


TDKマニュアルと掲載誌の「DECOMAS」表示ページ

そして、この記事掲載がきっかけになり、アメリカ企業にも同様のマニュアルが存在することを知ったわれわれ研究グループは、Moody’s(アメリカの投資情報会社) の年刊に載っていた世界的大企業に片端から手紙を出していきました。「われわれは経営とデザインの関係を研究している日本の若者グループで、もし貴社にデザイン・コントロール・マニュアルがあるならば研究資料として送って欲しい」と。
結果、驚くなかれ、多くの大企業から早いところでは一週間後には、分厚いマニュアルが次々と送られてきたのです。それは日本国内の企業から会社案内を取り寄せるより時間的に早く、その広報感覚の鋭さの差異にびっくりしたものでした。


3M(旧・新)やIBMなど世界的著名企業のマニュアル類

DECOMASはその後も大変ツキのあるネーミングとして有名になっていってくれました。
というのは、当時、三省堂から「今後はデザイン書にも進出を検討したいので、可能性のある分野を調査して欲しい」との依頼を受け、その際、戦後にわが国で出版されたデザイン書を網羅して調べ上げ、可能性軸を5分類に分けて調査報告書をまとめ提出したのですが、その最後に「DECOMAS」の軸を付けて置いたのです。
DECOMASといっても、出版社側は何のことだか分かりませんから、久司さんという出版部長が「これは一体何か?」と訪ねて見えました。
その際、われわれは収集していた海外企業のマニュアルの山をお見せし、「これから必ず重要になっていく分野」とご説明したのです。
この時の出版部長は大変目端の利く方で、「中西さん、これで一冊本を書かないか?」と申し出て下さったのです。

そこで、取材交渉を米国企業と始め、当時、外貨の持ち出しが500$(当時は1$=360円でしたから僅かに18万円)であった頃に、大蔵省(現財務省)に苦心の折衝をして、2,000$の枠を取りつけ、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで出かけることになりました。
出発時の羽田空港では、あちこちで見送りのバンザイ、バンザイの声がわき起こる中(海外出張はそれ位貴重な事態だった)、父君が日本航空勤務で既にアメリカ旅行の経験があった研究仲間の佐藤憲正さんと私は旅立ったのでした。
到着当初、聞き慣れないアメリカ英語の発音には苦労しましたが、取材をし、写真を撮り、資料を整理し、と一人何役も果たしながら、NewYorkで2ヶ月間自炊生活をしました。あちらこちらと18kgもある重いカメラバッグと共に歩き回ったお陰で、後半には番地さえ聞けば大体場所が分かるようになり、地下鉄で自由に出歩けるくらいマンハッタンの地理には精通していました。
NY滞在の後は、ほとんどの移動は日本でチケットを買っていったグレイハウンドのバスで、これはいくら使っても重ねてチケットを発券してくれ追加料金は掛かりませんでしたから、乗り方にも慣れ、実に便利に使わせてもらいました。一番長い乗車時間ではマイアミからデトロイトまで26時間ほとんどぶっ通しでグレイハウンドに乗り続けたこともありました。
全米各地を転々としながら1ヶ月間、各地の取材先企業を回りました。当然、観光名所も訪ねたのですが、結果としては、合計50社くらいの企業やデザインオフィスを取材しました。当時のアメリカは、日本人に直接接することがまだ珍しい頃でしたから、多くのアメリカ人たちが実に親切でした。
ふところ事情としては、まさにツメの先に灯をともすような貧乏旅行を重ねました。そして、その結果、帰国後、本づくり中心の生活を約1年半続け、アメリカでのデザインのシステムコントロールの実態を集めた〈実例編〉と、わが国の経営風土に合った「企業経営にデザイン」を戦略的に取り入れる〈理論編〉をワンパックにした提案の大編著作として出来上がったのが、「DECOMAS」(1971年三省堂刊)です。


DECOMAS〈実例編〉


DECOMAS〈理論編〉

当時としては大変高価な本であったDECOMASは、幸いなことに、その後30年間10版を重ね、経営やデザインといった先進分野の書籍としては稀有なロングセラー本となってくれるのですが、この拙著は名もなく貧しい新興会社PAOSの信用状となり、同時に高級営業案内書の役割を果たしてくれることになりました。
少し先述しましたが、理論編・実例編の2部作の内、理論編は徹底してわが国固有の経営風土を考慮し、将来を鑑みた経営戦略デザイン書籍として内容構成を行い、全く類書のないデザイン+経営の提案書として著しました。これは、わが国のみならず韓国・台湾などでも先駆的な書籍として影響を与え、日本型CIとかPAOS型CIと呼ばれる新しいデザイン・経営コンサルティングの新分野新市場を開いていってくれることになります。
特に理論編の方は、わが国独自の経営風土を前提として力を入れて著作編纂しましたから、いわゆる海外輸入物のCI書(実態はVI書)とはまるで別物になっています。
これは米国取材時に、米国一といわれたリピンコット・マグリーズ社のW.マグリーズ社長を取材し、日本ではこのような表層のみのCIでは駄目と独自の経営的発想と手法を展開しようと考えたことが、その後の展開に大きな転機をもたらしてくれました。
ただ、アイデンティティという言葉は当時の日本人にとってはまるで馴染みのない言葉でしたが、これからこの分野はCorporate Identity(略してCI)と呼ぶべきではないかと提案しましたので、その後次第にCIという分野呼称で定着していくことになります。ですからCIはもともとリモコン、テレコ、ボディコンなどと同じ和製略称です。

振り返ってみると、ブリヂストンや伊藤忠など世界的な大企業の理念を創ったり、セキスイハイムやベネッセのような新分野の事業ドメインのデザイン策定を行ったり、松屋銀座やケンウッド(旧トリオ)の経営再生を図るといった、いわゆる表現のみの作品主義ではない全く独自のビジネスモデルを構築していくPAOS独自事業の起爆剤になってくれたのが、まさにDECOMASだったのです。


戦略経営デザイン開発事例、主要テーマと各社ロゴ

「デザインを核とした経営コンサルタント」とは、PAOSが自他共に認めるビジネス内容の呼称ですが、その独自モデルの具体的な核となり、出発点となってくれたのが、まさにDECOMASの出版だったわけです。
韓国では、この本の影響で、わが国より早くDECOMASのタイトルが付けられたマニュアルが生まれたほどです。おそらくタイトルに堂々とDECOMASが表記されたマニュアルは、世界でもこれ一冊だけではないでしょうか?


韓国現代デザイン界のリーダー 趙英済先生のDECOMASマニュアル

三省堂では、DECOMASが実に永きにわたって売れ続けてくれたため、同書を永久に刊行し続ける図書に指定してくれたのですが、その後担当者のミスで、絶版扱いになってしまいました。まことに残念なことです。後に当人から理由説明に来たいとの申し出があったのですが、これはお断りしました。


DECOMAS10周年記念リーフレットと献文



投稿者 Nakanishi : 2013年08月30日 13:28