中西元男 実験人生
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COMMENT

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「早稲田大学デザイン学部試案(1962)」から50年
―――――― 21世紀デザインの役割と展望

2012 / 5 / 9

最近は、デザインの専門家(デザイナー)ではない人たち、主に経営系やマーケティングの専門家達による、デザインの経営的重要性を指摘する提案の書が多く著されるようになってきました。デザイン側からみれば、長く続いた作品主義という視野狭窄(しやきょうさく)状況を突破できる可能性が生まれ始めたということでしょう。

また、「DESIGN THINKING(デザイン思考)」というキーワードも、スタンフォード大学や東京大学、トロント大学等々、世界的な広がりで採り入れられ始めています。これらの動きは、ひと言でいえばMBAやMOTなど、いわゆる「経営学系の分野の人たちが、デザインの持つ知的美的経営力に注目し始め、創造的人材育成の分野に新規トライアルを始めた」ということに他ならないでしょう。

『早稲田大学が、過去においてわが国文化のあらゆる分野で先鞭をつけて来たごとく、デザイン教育においても真の立場を求めて立ち上がるべきであり、わが国総合大学におけるデザイン教育面での、リーダーシップをとらなければならない。(中略)社会においてデザインはよりよい生活を築く手段であって、なおかつ売るという目的を達することこそ、企業におけるデザインの大前提であり、(中略)単に造形の問題としてだけでは扱えない多くの要素を、デザインはその中に宿している。(中略)
新時代が求めているデザイン教育は、(中略)造形研究を基盤として出発し、物と人との関係から人と人との関係まで、社会をディレクトしていく新しい分野を開拓し、広汎かつ遠大な文化形成のための指導者(ディレクター)を創り出すことを目的としている。《これは今こそわが国が必要としている人材である》』


この生硬な拙文は、ちょうど今年から遡ること50年前、1962年に発表した「早稲田大学デザイン学部設置への試案」という提案書の一部です。


「早稲田大学デザイン学部設置への試案」掲載誌

ここには、デザインという分野が単なる美術・造形教育の枠内に止まるだけではなく、それを一方の極とするならば、他方の核として、総合大学においてこそデザインが重視され、主要な学部として存在するべき、との構想提案の形を取っています。
この提案は、時の大浜信泉総長にも報告の機会を与えられ、雑誌にも採り上げられて、一部の人には大いに注目を浴びましたが、いかんせん当時はまだ時期尚早の提案でありました。

その後設立したPAOSという会社は、こうした主張や仮説の正当性と現実性を、少しでも実証していこうとの理想のもとスタートした実験会社でもあったわけです。この学生の研究サークルから出発した研究・実践組織も、創業から既に今春で46年の歳月を経、当初の主義主張が決して間違いではなかったことを、自身の仕事の上でも証明しようと歩みを続けてきました。

加えて最近では世界的にも、前述のごときデザインという分野の持つ可能性に注目し始めた経営系の専門家が出現し、デザイナーの中でも、単に受注型表現処理の作品主義に終わるのではない慧眼の持ち主というか、市民や社会の生活者的価値の創造者ともいえる個人的能力の持ち主が現れ始めました。
50年を経てようやくという気がしないではないですが、デザインという分野の持つ本来の有用性の拡がりが認められ始めたとの感慨はひときわ大きいものがあります。

時に「21世紀は人間の時代」と言われますが、突き詰めて言えば「人間力=体力+知力+感性力」と言い換えてもよいでしょう。
この中でも、体力や知力は非常に分かりやすく、教育の分野でも全人的基礎教養や共通理解としてそれが認められてきたのですが、感性力はともすれば定量的価値化や社会的なインフラストラクチャー、すなわち説得力ある社会的基盤としての必然性が認められ難かったために、ごく一部の才能あるプロフェッショナルの専門領域として特殊視されてきたきらいがありまました。

そもそもデザインという専門分野も、その出自を考えてみますと、産業革命という大きな歴史的変革を機に現れてきた分野です。
ということは、本来デザインとは、大量生産・大量伝達・大量輸送等といったいわゆる“マスの価値創造”と不可分の存在であった筈なのですが、どうしたことかデザイン教育が美術学校の延長上だけに置かれ、美術教育と非常に近い分野として位置付けられて、今日に至ってしまいました。
そのため、ともすれば「デザイン=美的作品」という社会的通念が出来上がり、評価も芸術の価値に近い評価軸が出来上がってしまいました。決してこれが悪いというつもりはないのですが、どこかでデザインは自らの持つ可能性の広がりの芽を摘んできてしまったのではなかったでしょうか?
美学の世界では、「芸術作品の価値は一品性にあり」といいます。
つまりその作品が世の中で唯一無二の存在であることに、重要な価値を認めようとするところがあります。
どうやらデザインも美術教育に近いところでのみ育ってきたために、どうしても作家作品主義的価値が優先され、たまにビジネス的な大きな成果を生み出すと、そのデザイナーはまるでデザイナーの閾(いき)を越えた人の如く評価されるのですが、私はこうした成果や姿勢こそ本来デザインに求められるべき在り様だと考えてきました。
個人名を挙げて恐縮ですが、たとえば身近なところでは、最近の佐藤卓さんのお仕事などは、そうした天稟ある成果と言えるのではないでしょうか。十分に理解しているわけではありませんが、深澤直人さんの活躍も生活の文化化という意味ではそのように思えます。

私は随分以前から、優れたデザインとは、伝え方の問題ではなく、「伝えるに足る価値の創造こそ重要」と繰り返してきました。
しかもそのコンセプトづくりから実体化までを、個人の作品としてビジネスにしていくよりも、異分野の専門家ともコ・ワークで成し遂げ、「デザインを産業化」していくことが重要なのだと主張し実践してきたつもりです。

そのためには、デザイナー(上記で求められる人材を広い意味で「デザイニスト」と呼称していますが)とは、単に見える価値の表現者に止まらず、その大元となる企業存立や理念そのものの、いわば見えないデザイン価値の創出に、源泉レベルから関与するべきであって、その出発点から企業や公共体の感性力や文化力といった、これまではともすれば置き去りにされがちであった存在価値や存立の創造行為から開発を始めていくべきでしょう。

「早稲田大学デザイン学部設置への試案」という提案も、こうしたデザイン本来の在るべき論、人材育成論としての提言であったという次第です。ですから、ここでのカリキュラムは、最初から大学院までの6年制を前提とし、特に修士課程の2年間は徹底して異分野の人たちとのチームプレー、協同創造作業をカリキュラム化した試案となっています。

ありがたいことに半世紀も経って最近ようやくこうした主張が世界的な広がりを見せつつあることを、深く喜んでいる次第です。
私に言わせれば、デザインという分野の面白さは、どの分野にでも関わっていける特性、つまりインターディシプリナリー(分野横断力)性というか、その融通無碍性(ゆうずうむげせい)にあります。

私達PAOSという組織は、総合大学におけるデザイン教育構想が実現しないのなら、せめて自分達の手で可能な範囲の実験実証にトライアルしてみようと始まりました。
社名のPAOS(パオス)も実に欲張ったネーミングというかフィロソフィブランドで、「Progressive Artists Open System=進歩的で、創造的で、組織的に最適解を出す」を略したもので、昭和43年(1968)の法人設立です。


PAOSの旧新ロゴとネーミングの意味

特別の資金も、コネも、指導者も無く始めた会社でしたから、出だしは苦労をしましたが、お陰様で次第に理解ある良きクライアントにも恵まれ、特段の営業活動らしきものもしていないのに、結果的に、多くの実験的なビジネス成果やサクセスストーリーに恵まれてきました。

永くPAOSというビジネスモデルを試みてみて、これもデザインという分野の問題点かと思いますが、デザインビジネスではストック的な価値が認められ難いという構造的欠陥を痛感しながら推移してきました。そのマイナス因子の一端が、CIというと、最近では企業ロゴのみの表現デザインの話になってしまったりする現象です。

セキスイハイム新事業確立戦略の立案、松屋の百貨店業&銀座商街区再生運動、ベネッセ(旧福武書店)の長期企業指針策定、ブリヂストンの世界1位企業達成目標の具現化策、INAXの環境美創造提供産業化、NTTやDoCoMoの社会インフラ型高度サービス業化、伊藤忠の国際総合企業理念策定等々、これまでに手掛けさせて頂いたプロジェクトはおよそ大小100を越えようかという数になってきていますが、多くは理念や方針のデザインからリアライゼーションに至る長期的戦略的展開を旨としてきました。

こうしたPAOSでの長いビジネス体験の累積や成果を振り返るに、企業経営とデザインの間において、私たちは大きく二つの問題をかかえていようかと考えます。
一つは、たとえば30年先を目指して立案提案した、長期経営戦略や企業変革のデザインが、時を経てようやく成果を生んでも、わが国マスコミのほとんどは歴史的成果やアーカイビングとしての価値を振り返ろうとはしません。

賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶと言いますが、むしろこうしてPAOSで積み重ねてきたところ、つまり内容的・理論的・数字的成果への評価については、韓国・台湾・中国等アジアの国々の方が学び取ろうとする姿勢では真剣で強いように思えます。

デザインというと、テンポラリーな作品主義として、皮相的、フロー的現象としてしか見ようとしないわが国マスコミ界の姿勢そのものが、日本企業の将来展望を伴った企業力強化を弱めていっているのだと思えてなりません。
目先の売り上げにさえなれば何でも商売の種にしてしまう大手のデザイン利活用専門業者の近視眼的ビジネス志向も、企業力の国際的弱体化に繋がっていると思います。
国家や公的機関にも、わが国の10年後を見据えた明確なデザイン政策や目標が存在しているとは思えません。

もう一つの問題は、これだけ企業経営レベルでのケーススタディやサクセストーリーの実例や詳細記録が存在するにも関わらず、企業経営上の感性力効果や成果の現実テーマに、真剣に取り組もうとする研究者や学者が未だほとんど現れてこないのも不思議と言えば不可思議な事実です。「MBAは理論と数字の世界、経営には情も必要」と言われますが、その通りだと思います。国家や企業の人間化の中でも、感性力や文化化力の強化に取り組む人材育成が必要なのです。

私は、物的・技術的経営や財務的経営に加え、リーマンショック以降のビジネスモデルとして、「知的美的経営」が重要と考えています。そうした構想は2、30年も前から主張し、実践に努めてきたつもりですし、それら長期プロジェクトの実績事例が、最近ようやく初期の目標を達成し、当初の企画内容から開発プロセスまで含め公表できる段階に達してきました。
こうした個別企業でのケーススタディの活用が、今や汎用化論として重要な存在価値・経験価値を有し始めていると考えております。

特にわが国のこれからを見通す数値的シミュレーションとしては、最早、量的大国としては中国やインドなどに敵いっこ無いわけですから、より尊敬に値する国家存在としての広い意味での文化大国スマートネーション化(IT・科学+芸術・文化+地理的特性・歴史的遺伝子)という意味での根源療法を必要とする時が来ているのではないでしょうか。
これからのデザイン分野は、その融合役としての役割が大きいと私は考えております。

「工業化時代のデザイン」教育の世界に、バウハウスというマイルストーンを打ち立てたW.グロピウスは、「デザインはあらゆる分野の共通公分母」と言いました。全ての人工物に審美性・快適性・安全性等の付与をミッションとする意味では、その通りでしょう。


W.グロピウス

しかし現在の「高度情報化時代におけるデザイン」のミッションとは、ともすれば独立独歩でバランス感覚を失いつつある、技術・社会・環境・文化・経済の融和力を発揮すること、言い換えれば、もう一度人類や国家の体力+知力に感性力といった側面から、適切な融和剤として存立の責を問われているのが、これからのデザイン分野の目標と言えるのではないでしょうか?


21世紀デザインのミッション

その意味でも、時代はデザイナーを超えた「デザイニスト」を必要としているのです。
私が2010年から「STRAMD(戦略経営デザイン人材育成講座)」を主宰し始めたのも、述べてきましたような背景があってのことです。
今こそデザインは対症療法を超えた根源療法に応える必要があるのではないでしょうか。



投稿者 Nakanishi : 2012年05月09日 18:25