中西元男 実験人生
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« 人育て、人育ちメインSTRAMD(ストラムド)、実に面白い実験講座 »

なぜ、Design Thinkingは経営革新や新しい生活文化の創造を目指そうとしないのか?

2011 / 9 / 1

あちこちでいろいろなポスターコレクションが行われている、という記事が新聞に出ていました。こうした取り組みもあるに越したことはないとは思いますが、E.ソットサスが「デザインとは?」と問われて、「人に花を贈るようなもの」と答えたごとく、デザインにとって最も重要なことは、いかに受け手発想に立つか、ということではないでしょうか?

最近はデザイン・ミュージアム建設の構想が動いていることも聞いていますが、これも単なる作品やモノのコレクションになってしまっては、要は工業化時代型のモノ中心・送り手発想中心の、単品集積レベルのミュージアムになってしまうのではないでしょうか?

私は、デザインにとっての最重要事は、受け手である顧客・消費者・生活者との関係性の中での価値創造であると考えております。
芸術の価値とは「一品性」にありとは美学で教えられた定義でしたが、その意味では、単なる物コレクションでは、デザインが作品主義や送り手発想の芸術作品と何ら変わらないものになってしまいます。
またそうした発想では、デザイン作品の多くは、決してアート作品に表現力や個性的パワーという点で敵わないのではないでしょうか?

「デザインとはあらゆる分野の共通公分母」とはW.グロピウスの至言です。
少なくとも私はそう考えています。

これも工業化社会の価値観に基づくものかもしれませんが、審美性・快適性・安全性などのあくなき探求は、デザインという発想が生まれてこの方のミッション(使命)、とも言えましょう。
これは言い換えれば、「あらゆる人工物を少しでも美しくしょう、快適につくろう」との思想ですから、まさにグロピウスの、デザインの共通公分母性は言い得て妙の発言と言えるでしょう。

そのことを考えるだけでも、デザインが単なる作品主義や自己表現の狭小世界に凝り固まるのではなく、人々の生活や企業の社会的価値創造に寄与する存在にならなければならないと私は考えているのです。

かつて、阪神大震災で潰え去った「神戸市 デザイン史博物公園」なる企画がありました。この時市長説明用に使った企画書は今も残っていますので、稿をあらためて詳しく書きたいと思います。これはまさにその時代々々をシンボリックに切り取る、生活文化としてのデザインの歴史的にしてかつ世界的なミュージアム構想でした。


1993年提案「神戸市デザイン史博物公園」企画書

最近話題の言葉として、「デザイン思考(Design Thinking)」が脚光を浴びてきました。ところが、このキーワードが話題になるばかりで、実態としての現実的成果がなかなか現れてこないため、これは「バズワード(仲間内の流行り言葉)」に過ぎないのではないか?との疑問が呈され始めているというのです。
確かに、「優れたプロダクトデザインと、デザイン思考に基づいたプロダクトは一体どこが違うの?」と問われれば、デザインシンカーは一体どう答えるのでしょう?

こうしたバズワード現象は、ここ数十年の間に私もいくつも経験してきました。
「CIの時代は終わった。これからはブランドの時代だ」などと言われたことなどは、やっていることの中身は大して変わって無いわけですから、私に言わせればチャンチャラオカシイとしか言いようがありません。

私はCIプロジェクトの中で、ブランド戦略が必要と思えばクライアントにそう提言し、ブランドが大騒ぎになるよりはるか前から実行に移して来ましたし、CIも、将来に向かっての企業思想の構築と表現の固有価値づくりとしてのデザイン(見えないデザインと見えるデザイン)、つまり、経営戦略デザイン、事業開発デザインとして捉え、実施してきたつもりです。
要は結果としてその時代の顧客やステークホルダーの心が掴めなければ意味を成さないのですから。

亡くなられた、わが国を最もシンボリックに代表するグラフィックデザイナーであった田中一光さんに、「中西さんの功績は、デザインを経営者自身の問題として捉えるレベルにまで高めたこと」と言っていただきましたが、そうした意味からも物欲や金銭欲中心の時代からの脱皮が求められている今日の日本においては、まさにデザインが次なる企業づくり国づくりの大きな役割を果たすべきであろうと思います。

そして、「これこそ、真のDesign Thinking」ではないでしょうか?
私は、今こそ根源療法型デザインが求められている、と考えています。



投稿者 Nakanishi : 2011年09月01日 18:09