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COMMENT

« 2011年、新年メッセージ(PAOS:中西元男)メイン≪STRAMD≫一周年記念シンポジウム »

文化成長が経済成長を牽引する時代

2011 / 1 /13

「わが国の経営モデルは、『生産機関・経済機関・文化機関』が鼎立する構造を目指さなければならない」とは、1970年頃から述べてきた私の主義主張です。

江戸時代という世界に冠たる文化大国としての歴史や経験値、そして世界各国の文化文明を積極的に採り入れ自国化してきた独自のDNAを考えても、文化軸を企業経営や国家政策の中に不離一体のものとして取り込まない指針などは、個性なき自立を考えようとするに等しい、と私は考え続けてきました。

そうした構想は、1974年、中央公論誌の経営問題特集に「試論:企業の文化戦略」という小論おいて既に提唱しています。




中央公論経営問題特集 記事中図版より

また、工業化時代から情報化時代への推移を前提として、経済構造や経営戦略の中に「文化成長が経済成長を牽引する構造」を仮説として提唱し続け、そうした経営モデルの戦略提案を実ビジネスにもしてきました。ベネッセ・神奈川県(KI)・INAXなどのプロジェクトでは、いずれもアイデンティティデザイン(本来のCI )開発の当初から、基本経営戦略の中にそうした構想提案が組み込まれています。その具現化が企業における国際的市場創造にも連なっているのです。

ただこの場合の「文化」とは、芸術文化など狭義のそれを指すのではなく、社会や生活の中に物心両面の人間的価値の探求を指す広い意味での文化です。かつて当ブログでも述べた「目の人・愛の人」としての文化を指しています。

バブル期の失敗やその後の20年に及び未だ不透明ないわゆるジャパン・シンドロームと呼ばれる失政を振り返っても、企業経営や国家政策の中に「文化という視座」が組み込めなかったことにその起因の一つはある、と私は考えています。

これは、国内政策の中に文化の指針を包含できなかった失敗ばかりでなく、歴史的に日本のどの時代においても、これまで先進国の文化文明の自国化を進め、固有の発展を求めてきた自らの経験を、後進国や低開発国の支援や援助において活かし、そこに親派を生み出してこれなかった咎(とが)が、今この国に及んできているのではないでしょうか?
日本人自身の固有の体験とも言える歴史的教訓を、政策や経営戦略の中に活かせなかったことの失敗であると考えています。

江戸時代270年の「鎖国」という名の世界的にも稀なる戦争無き永き平和の時代は、商人や農民といったいわゆる支配者階級ではない市民層が、主に独自の民族文化を築き上げてきました。ここが、王侯や貴族など支配者階級が先端文化を築き上げてきた欧米との最も大きな違いであると言えます。

最近になってようやくクール・ジャパンなる政策が国家主導で動き始めました。私はその経緯を詳しくは知らないのですが、ネーミングからして先行各国の二番煎じの感が気になります。もう少し日本独自のオリジナリティが感じられるフィロソフィブランドが導入できなかったものか?これまでいくつもの新プロジェクトを手掛けてきた経験からいっても、言葉はまさに言霊(ことだま)であり行動目標だと考えます。
クール・ジャパンにおける、まだまだ工業化時代型の輸出立国発想が気になるのですが、国家や行政が主導するとどうしてもそうならないと具現化し得ないのでしょうか。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、工業化時代型の産業立国経験臭をどことなく感じてしまうのです。

ともあれ現状のわが国では、「座して死を待つよりは」の観が深いのですが、危機意識が遅まきながら文化を主軸に具体的政策となって現れた成果を期待して眺めてみたい、と思っています。

ただ一点気になるのは、韓国・台湾・中国等のデザイン政策が主軸に置いている、「新たなる人材を創る」という教育政策がわが国は欠落しているように思えるのですが、この根本的な問題は一体どう考えられているのでしょうか?

故に、私は昨年からSTRAMD(戦略経営デザイン人材育成)に敢えて挑んでいます。

教育熱心、学習熱心はわが国の良きDNAであり、「迷った時には原点に帰る」の歴史に学べば、当然の帰結と考えているのです。決して神風の吹くのを期待するような対症療法的施策だけではなく、固有の自然与件や文化の歴史に支えられた、長期的視野を持った予防医学的施策も必要と思っているのです。
上手いドライバーほど遠くを見て目の前の出来事に対応すると言われます。
長期的・戦略的・構造的施策を行う出発点は、「人財の根本的な育成」にこそあるというのが私の考え方です。

最近教えられたWHOの保健レポートでは、日常的に健康で自立した生活が営める平均寿命というのがあって、日本男性は72.3歳(因みに女性は77.7歳)とのことです。これは世界一の健康寿命国を意味しているようですから、ここはひとつやれるところまで私も頑張ってみましょうかね。


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投稿者 Nakanishi : 2011年01月13日 12:52