中西元男 実験人生
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[1月22日(金)]開催のご案内
「今、デザインの最前線で何が起ころうとしているか」 »

デザインは、今どこを目指すべきか「STRAMDへの道」
(1月22日開催「JDBデザイン・シンポジウム」の序に代えて)

2010 / 1 / 7

2010年はいろいろなことが大きく動き始めます、というより動かし始めるべき時だと考えています。

年末年始のTV番組等を見ていても、識者やリーダーと呼ばれる人たちがさまざまな発言をされ、対症療法的にはそれぞれごもっともとは思えますが、一番不満が残るのは「一体日本をどういう存在価値の国にするべきか」といった提示が殆どなされていないことです。
政権が代わってもそのあたりのマクロ観の無さはあまり代わり映えしません。いくら鳩山首相が「コンクリートから人へ」と叫んでも、それらはわが国にとって両方重要なのです。問題はそれ以上に、この国を世界の中で、あるいは地球上で、どういう存在意義の国に導こうとしているか、の目標あるいは仮説の提示が必要と思います。
2050年がよく引き合いに出されますが、その仮定の数字を拾うと、
<人口が3〜4000万人減って今の2/3に>少子高齢化が進んで活力の乏しい国になる
<GDPは世界の第10位に>中国がダントツ1位(日本はその1/7)、米国・インドと続いて、この3ヵ国で世界全体のGDP70%を占める
などといった予測値が示されると、その頃に日本はどのような存在の国になっていることを目指し、今何を成さねばならないのか?それがなければ海図無しに大海原を航海しているようなものだと思えてきます。
労働人口が減り、量的大国への道が無くなるのであれば、せめて固有の存在価値を持つ文化大国への道を目指すことは出来ないのでしょうか?

確かに事業仕分けも結構ですが、企業再建で言えばコスト発想策だけでなく投資発想も重要なのです。コストセービングのV字回復が何年も続いた企業なんて聞いたことがありません。

最近、坂の上の雲や坂本龍馬が話題になります。いずれもこのような資源も何もない国から、どのようにして存在価値のある国に成っていこうかという夢と情熱が、現代人の寂寥感を慰めてくれます。卑近なところでは、「官僚たちの夏」といったドラマが、高度経済成長に向かい使命感を持って苦闘する優秀な通産官僚たちの姿を描いて胸を打ちました。いずれも最も重要なことは、「このような国にしていこう」との目標と情熱が在ったことです。

第二次世界大戦に敗れ、国土全体が焼け野原になってしまった日本に進駐してきたマッカーサー元帥は、「日本を東洋のスイスに」と言ったそうです。この場合のスイスが、「世界から観光客を呼ぶ、自然の美しい永世中立国」だったのか、それとも「時計産業のような独自の中小規模産業に支えられた技術立国」であったのかは分かりませんが、やがて5年後の朝鮮戦争の勃発により、日本は米軍の兵站基地、武器の修理や生産工場として産業的に復活し、その延長上でやがて工業立国、世界的な技術大国・経済大国への道を歩んでいくことになります。

そして、1980年代に世界でも最も経済的に豊かであった大国として、その力を文化や社会的価値の投資に振り向けられなかった結果が、現代の黄昏(たそがれ)大国の姿です。
因みに、世界経済フォーラムが発表した国家間の「2009年版世界競争力報告」では、スイスがアメリカを抜いて第1位、日本は8位です。

80年代末頃のわが国が経済大国として絶頂期にあった頃、丁度わが国の大手不動産会社がニューヨークのど真ん中のロックフェラーセンターを買い取って話題になったその時、私はイタリア人の国際弁護士の高層マンションに招かれてマンハッタンを遠望しながら食事をご馳走になっていました。彼曰く「日本人は高価なビルやアートを買いまくっているが、アメリカ人は暫く預けておいてやがて安い値で買い戻す考えだよ」と。結局、その言葉通りになりました。

この頃のだぶついた円を、どうして「文化投資や将来の国益投資」に使わなかったのか?数十年先を想定して今何を行うべきかを考えるマクロ志向のある政治家なんて、ここ30年以上存在していないのではないかと思います。
たとえば戦前の大東亜共栄圏と誤解されると困るのですが、80年代に豊かな円を有効に活かして、貧しい東南アジアの国々からどんどん留学生を招き、各地に文化教育投資を行ってアジアに日本語文化インフラを築き、円の経済圏を育てようとの発想を持った政治家が出てこなかったのが不思議であり、寂しさを禁じ得ません。

戦後日本の女性代議士第1号であった故加藤シヅエさんのお話を10数年前に聴いたことがあります。そのとき加藤さんは既に齢97才でしたが実にかくしゃくとなさっていて、足こそ車椅子でしたが、目も耳も口もそして頭の回転も実に明快で,こう言われました。
「私は、戦前から日本だけではなく外国での生活も長く送ってきましたが、今ほど日本人が世界から馬鹿にされている時代を経験したことがない。それを思うと悔しくて死ぬに死にきれない」と。

金はあるけれど尊敬されない日本人の時代が過ぎてみれば、次は金も無い上に尊敬もされない日本人の時代が来ようとしているのです。
日本をこうした状況から救えるのは、新しい文化立国への道しかないのではないかと私は考えています。

たとえば江戸の末期にやってきた外国人達は、日本人の識字率や文化レベルの高さ、街の清潔感や人々のマナーの良さに感服したと記録されています。確かに当時の日本は決して経済大国ではなかったけれれど立派な文化・環境大国だったのです。

モネやゴッホなど西洋近代絵画の先端アーティストの多くが当時の浮世絵の芸術性に圧倒され、その印象がきっかけとなって近代絵画のインプレッショニズム(印象主義)が生まれたとも言われますから、その意味では日本は世界における立派な文化先進国であったわけです。

こう振り返り将来のことを考えると、この国の目指すところは何となく「地球時代の文化・環境大国」に決まってきているように思えます。環境というとすぐに現代では技術的なそれがクローズアップされますが、私はもう少し暮らしや社会あるいは街づくりや自然保持といった環境の問題も重視したいと思います。
そうした方針を目指そうとする場合、一番大きな役割を果たすのがデザインでしょう。ただ決して現代のようにごく一部の作家達に頼った作品デザインではありません。それも大事ですし、雑誌等ジャーナリズムはそれがデザインと大騒ぎしますが、もっと受け手が中心になり、デザインが産業や教育の中で重要な役割を担う時代がやって来ないと、日本という国の明るい未来は見えて来ないと私には思えるのですが。

もう20年以上も昔のことでしょうか、アップル社のデザイン部門を訪ねた時のこと。彼等の仕事紹介で映されるプロダクトデザインの写真に、いわゆる正面性だけではなく、裏側の処理に関わるディテールのアップなどのシーンが異常に多いので、「こちらのデザイン部門の方針は?」と聞きましたら、こんな答が返ってきました。
ある人がバリ島に行った時、周りにあるあらゆる物がいずれも余りに美しいので、「これは一体誰の作品か?」「あれは誰のデザインか?」と聞くのだが誰も答えてくれない。その訳は、そこにいる人たちの誰が何を作っても美しくなるのであって、特別の作者の作品ではないからだった。アップルのデザインとはそういう状況でありたいのだ、と。その説明を受け、実に感服したものです。
要は、作り手も使い手も含めた文化水準、デザインレベルの高さが重要なのでしょうね。オリジナリティと美しくデザイン水準の高い商品が次々と生まれてくる最近のアップル社の商品群を見ていると、ついこの時の話を思い出すのです。

これからの日本は、国全体がそういうデザイン水準の国になっていくことが重要なのでしょう。多分、開国前の江戸時代のわが国はそれに似た存在感の国だったのではないでしょうか?

生活者・受け手発想第一のデザインやそれを可能にする人材育成を今から考えていかないと、時々に現れる作家作品主義はともかく、この国の文化や産業としてのデザインは先が見えて来ないという気がします。それは優れたデザインや個性豊かな審美性創造が企業経営にも福音をもたらす経験をいくつかしてきた私ですから、敢えて強調するのです。
市民は提示されれば優れたデザインを見抜く心の目を持っています。行動も起こしてくれます。ですからそうしたデザインの戦略的活用を可能とする人材は必須なのです。
それらの理由があって、これからSTRAMD(戦略経営デザイン)教育にもチャレンジしようとしているのです。



投稿者 Nakanishi : 2010年01月07日 12:30