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« 経営におけるDesign Thinkingとは?メイン日中漢字新時代、《 PAOS書体 》の開発 1 »

記念品「PAOSそば猪口(ちょく)」と山田耕雲

2009 / 6 /16



PAOSそば猪口

これまでに述べてきましたように、倉庫を整理していますといろいろな物が出てくるのですが、これはPAOSが会社設立10周年を迎えた時、友人であり先生でもあった山田耕雲さんに記念品としてつくって貰ったものです。

耕雲さんは別府の長松寺という曹洞宗の古刹(こさつ)禅寺の住職で、残念ながらこの後、ほどなくして亡くなられてしまうのですが、今日の私が存在する上でなくてはならなかった人と考えております。

彼は桑沢デザイン研究所の同級生でしたが、私より6才年上で、「デザインとは単に表現をすることではない。もっと生活や社会全体に関わる重要なインフラ(社会基盤)である」との思考や使命を説いてくれた大きな存在の人でした。他方で酒の飲み方や遊び事百般、何ごとにおいても師匠格の存在でした。「酒は先に酔っぱらった方が、恋は先に惚れ込んだ方が、勝ち。何故か?」というようなことも彼から学びました。
著名な写真家(カメラマン)にしてカワラマンとしても異彩を放つ、山田脩二(通称しゅうちゃん)も桑沢の同級生でしたが、私以上に耕雲さんの強い影響を受けた1人だったと言えるでしょう。

PAOSが1978年春に10周年を迎え、何とかデザインビジネスの世界で格好がつき始めた頃、耕雲さんは住職のかたわら半箇林(はんこりん)という窯を構えてやきものを造り始めていました。そこで早速、周年記念品の制作を相談した次第です。箇とは竹+固い物という意味ですが、最終的に出来上がったものはまさに竹の籠(かご)に磁器が入ったものでした。


竹籠に入ったそば猪口

私自身、そば猪口はそれまでも古物商などでいろいろ買い求め日常の暮らしの中の雑器として使っていましたが、その場合の唯一の欠点は、熱い飲み物などを入れた際に触れる指先の部分が熱くなってしまって持てなくなるということにあると感じていました。そこで、耕雲さんにお願いして、縁に反りを持たせ熱くても指先にひっかかり保持し易いように仕上げて貰いました。また、私は酒を飲む際に唇に触れる器の縁が薄いほど好きでしたので、反りと併せて縁の薄い仕上がりもお願いしたのですが、これは実際に使ってみて大正解だったと思っています。

それ以外のことは全て耕雲さん任せで作ってもらったのですが、彼はそば猪口に藍の文字で「PAOS」の文字を入れてくれました。この文字の由来が書かれているのが写真の風呂敷です。竹籠にそば猪口を入れ、そしてこの風呂敷で包んで、お世話になった皆さまに差し上げたのでした。


風呂敷

ご覧の説明文も耕雲さんが自ら書をしたためてくれたものですが、今見てもおおらかで大変な達筆です。

今から300年以上も前、肥前の地から東印度会社を通じてオランダなどに日本の優れた焼き物が輸出されており、その数は190万個にも及んだと言われています。
当時、陶工達はよく判らないままにアルファベットの文字を描いたようで、例えばJAPANのJAは見よう見まねで「てへん」に「ふしづくり(卩)」といった解釈で独特の風合いの文字として表現しており、その当時のカリグラフィ(手書き文字)の資料が今も残されているのだそうです。耕雲さんはその中から「P・A・O・S」の文字を拾い出し、記念品のそば猪口に入れてくれたのでした。

わが国の名もない陶工達の手業が、尊敬の眼差しを持って遠くヨーロッパの地で見られていた時代のお話です。


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投稿者 Nakanishi : 2009年06月16日 11:20