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DoCoMoどうした?

2008 / 8 / 8

最近のロゴデザインにおける美的品質の低さ、コーポレート・ブランド戦略の喪失、一体どうなっているのでしょう?

先日受けたインタビューで、「近頃発表されるロゴデザインは、レベルの低いものが多すぎると思うのですが、どうお考えですか?中西さんはこういう分野の仕事をもうなさらないのですか?」との質問を受けました。
もちろん役に立てるプロジェクト依頼があればお引き受けしたいと思ってますが、確かに、最近次々発表されるロゴの類の美的品質やデザインの造形的精緻化レベルの低さには、「どうして?」の思いを禁じ得ません。加えて、なぜこういうデザインになったのか?狙いとする長期的な企業方針やコーポレート・ブランド戦略は一体どうなっているのだろう?との疑問を払拭できないのです。

ただ、私の現在の主たる目標は、企業の内外を問わずトータルなイメージ・マーケティングやデザイン戦略を可能とする人材を育成したいというところにありますので、こういった分野にハッキリとした発言をするということは、同業他社を誹謗することにもなりかねないと控えてきました。しかし、最近は折々に「新しいdocomoのロゴデザインもPAOSの作品?」との質問も受けますので、ドコモには申し訳ないのですが、この問題における私の見解だけは、この際明確にしておきたいと思います。


DoCoMoロゴ旧新

たとえばCoca-ColaやIBMは、世界のブランド評価の中でも常にトップ3内にランクされる高評価ブランドです。
かつてニューヨークに在るAmerican Trade Mark Associationなる機関でいろいろ資料を調べていた際、Coca-Cola社がデザイン保護・ブランド保全のために起こしてきた膨大な訴訟・裁判の記録書3冊を見つけました。まるで大辞典を思わせるようなそれらを通覧して、「よくもまぁここまで!」と、その自社ブランドの価値を守り抜く姿勢に驚愕したことがあります。










数知れず戦いが繰り返された裁判記録とライバル達


わが国でもようやく登録が可能になったコーク・ボトル・シェイプやキャップについての初期の訴訟例

わが国でもようやくコーク・ボトル・シェイプが商標権を得ましたが、現に1916年からこの形状での権利主張も続いております。
現在のコカ・コーラロゴマークに入っている波形は、ボトルの形状をシンボライズしたものです。

もともとCoca-Colaのロゴタイプは、商品が誕生した当時の1886年、帳簿に書き込むために描いていた筆記体の商品名を容器に貼り付けたところに端を発しています。
以来今日まで、その「手書き文字」を源としたスクリプト書体をブランド価値づくりの大原則として守り通してきたのです。もちろん時代と共に細部のデザインリファインはされてきているのですが、ブランド戦略の基本姿勢は百年を越え遵守されてきており、それが世界に冠たるブランド力の礎となっているのです。これは、ブランド・エクイティ(ブランド価値)を築くための教科書とも言える企業姿勢でしょう。

IBMも、今日のロゴタイプのおおもとは1956年につくられています。これはアメリカを代表する有名なグラフィックデザイナーであったPaul Rand(ポール・ランド)の作品です。当初は中が塗りつぶされたソリッド・タイプが主要ロゴとして使われていましたが、コンピュータビジネスの主軸がハード主体からソフトのそれへと大きく変化してきたのに伴い、基本のイメージは大切に保ちながら、現在の8本ラインのトーンド・バージョンへと変更されています。1972年のことです。


IBMロゴ旧新

IBMは、第二次大戦直後の20世紀半ばから、常にデザインを積極的に経営の中に採り入れてきた企業として有名です。「われわれは、貧弱な製品をデザインで良く見せようとは考えていない。(中略)Good Design is Good Businessでなければならない」とは、同社の強固な地位を築いた名経営者Thomas J.Watson Jr.の言葉ですが、人に人格があるごとく企業にも格と言える理念や方針がなければならないとしたWatson Jr.の長期展望に基づいた個性構築や表出が、脈々と今日に至る同社のブランド・エクイティを築いていったと言えます。
そして、そうした不動の指針こそ、IBMが企業のブランド戦略やデザイン戦略の世界に一つの範を示し得た根源と思えます。

振り返ってわが国企業の新ブランド導入や変更を見るに、企業統合の場合はある程度理解はできるのですが、デザインレベルやロングライフなデザイン力に疑問を抱かざる得ない造形品質が多くなっているのは残念なことです。
それにどう見ても変える必要もないのにデザイン変更が行われていると思える事例の新ロゴが散見される現実も、納得できないところです。こうした制作意図や背景となるべき方針が見えない事例(私に鑑識力が無いだけかもしれませんが)については、できれば担当デザイナーの方にお目にかかって、どうしてこのような結果になったのかお話を聞いてみたいものです。

・企業の使命や存在価値をどこに求めようとしておられるのか?
・業種業容イメージをどう表現したいと考えておられるのか?
・将来の事業展開方針は盛り込まれているのか?
・マークやロゴなどに企業のマーケティング&マネジメントのツール(道具)としての役割をどう与えようとしておられるのか?
・競合他社とのイメージポジショニング(地と図の関係)をどう築こうとされているのか?
・当該企業のDNAは確実に継承されているのか?
これらコンセプトレベルのデザイン方針は、いずれもロゴデザインの前提として欠かせないものでしょう。

そもそも歴史的に見ても秀作と呼ばれているデザインやブランドの名品には、優れた造形的完成度とそこから発せられる快い緊張感が醸し出されていると言えます。それ故に、それらは何十年、時には100年もの長い生命力を保てるのです。それができてこそ、「長期的なブランド戦略が企業にとっては重要」とか「ブランド戦略とは企業価値を上げる」との論も筋が通るというものです。

このような感性訴求の累積と生まれてくる資産価値を前提に, 敢えて少し具体的に述べてみたいのは、最近変わったというか変わりつつあるNTT DoCoMoのブランドデザイン変更についてです。
もともとNTT DoCoMoのブランドデザインのプロジェクトは創業の際に私どもが全体を手がけたものですから、最近突然変更されたdocomoのロゴデザイン変更についても、PAOSが関わっているのでは?と聞かれることが多いのです。このとんでもない誤解は完全に払拭しておかないと困りますので、敢えて一文ものさせていただきたいのです。

そもそもDoCoMoというネーミングは、1991年にプロジェクトの依頼を受けた際にPAOSで構築したコンセプトDo CommunicatiosとCommunication over the Mobile Networkに基づき、ネーミングの専門家横井恵子さんやインターブランド社などにご提案いただいた中から選んでいったものです。もちろん私どもPAOS内部でも随分考え、最終候補案としては以下のようなものがありましたが、結果的にDoCoMoが選ばれました。これはDo CommunicationsとCommunications over the Mobile Networkのコンセプト案から各々の音韻だけをとらえ組み合わせた、横井さんのアイデア溢れる見事な作品でした。


ドコモネーミング候補案

それにしても、当時のクライアントであった移動通信網新会社設立の準備をしておられた発注主のキーマンである皆さまが、複数候補提案の中から最も個性的とも言える「DoCoMo」を選ばれた決断には、提案者側であるわれわれも驚きましたし、そのチャレンジ精神に敬意を抱きました。
これから全く新しいコミュニケーション環境や価値創出がユーザーの生活やビジネスの中から溢れ、未知の事業分野が出現しようとしていた訳ですから、それに相応しいネーミングとしてDoCoMoは文句なしにコンセプトにも合致していましたし、独自の個性ある事業世界が創れると考えたからでした。
それゆえ、デザイン表現案も極力個性的で先進性に溢れたものを、と努力を傾けました。


コンセプトチャート

つまり、この時考えていたのは、集団主義の国ニッポンに「いつでも、どこでも、誰とでも」コミュニケーションが取れるという大変な生活革命が起き、それまでにない世界が到来するということでした。そのことにより個人主義の発想や行動が良きにつけ悪しきにつけ出現し、まさに時代を変え、新しいコミュニケーション習慣やライフスタイルをつくっていく。もっと言うならば、それは組織人発想の強かったこれまでの日本人そのものを変えるイノベーションが起こることを意味していました。そうしたことの諸々は上掲コンセプトチャートに、新時代のマナーの問題にまで触れて凝縮されております。
それ故私どもは、DoCoMoとは重要な意味を持つ変革型のフィロソフィブランドであるとの認識を持ち、開発作業にあたったのです。
その時第一に優先されるべきはユーザーであり、通信のインフラ産業としてDoCoMoは何よりも優れた市民企業でなければならないとする視点でした。




「夢ある市民企業」であり、「新しい文化」の創り手としての存在を願ったデザイン開発コンセプトの一端

下図はデザインプレゼンテーションの時に提示したイメージデザインパネルの事例ですが、これからは誰でもがまさに通信を楽しむ時代がやってくる、という変容を象徴的に示した一枚です。



これ一葉をご覧いただいても、DoCoMoのロゴデザインにはいろいろな表現上の可能性が秘められていることがお分かりいただけるでしょう。

昔から、「優れたロゴタイプは思想の凝縮」と言われますが、これは実に至言です。
その意味でDoCoMoとは、ネーミング的にも表現的にも「フィロソフィ・ブランド」であったわけで、「いつでも、どこでも、だれとでも」のコミュニケーション新時代をシンボライズしており、これからの同社の事業展開の基本を示すものでした。日本人の生活のインフラを構築していく企業責任が、NTT DoCoMoにはこれまでもこれからもあり続け、新しい通信文化の時代をどうつくり上げていくかといった哲学と責任こそ同社には重要なはずです。
このたびのDoCoMoの新デザインにあたっては、こうした重要な長期戦略や経営テーマは一体どのように考えられていたのでしょうか?

発表されている新ロゴへの変更理由や「新ドコモ宣言」を見ると、「より顧客に近い存在」とか「顧客との絆」「顧客の声をしっかり受け止め」といった、何を今さらというか、1991年当時よりもむしろ時代遅れの言葉が並ぶのには、かなりのオドロキです。これが果たして社会的責任も大きい情報化時代を代表するトップ企業の発信すべきコンセプトでしょうか。なぜ、もっと高邁な精神を頂点とした品格あるアイデンティティを謳い上げられないのでしょうか。

「マックが出てきてデザインがマックになってしまった」とは、有名なイギリスのデザイナーから聞かされた言葉です。
これは、パソコンのマッキントッシュの出現で、デザインがマクドナルドになってしまった、つまり、そこそこ食べられるが特別上等ではないデザインが氾濫する時代になってしまった、ということを意味するユーモラスなたとえです。確かに最近のロゴタイプデザインの美的品質の低さや造詣的にダル(鈍い、切れのない)なデザインの多出には、専門家として困惑してしまうようなものが沢山あると言えます。プロジェクトの関係者の中に「目の人」と呼べる人が存在していないのだなぁとも思います。これはまさに文化度の問題でしょう。

docomoの、まるで製造業的イメージといった感の強いロゴも、新しい平平凡凡体とも言え、多分に造形的精緻化を怠ったようなイージーなデザイン対応が大いに気になります。しかしdocomoの場合、それ以上に問題視すべきは、せっかくのフィロソフィブランドでありコーポレートブランドを単なるキャンペーンブランドもしくはセールスブランドへと変更してしまった点にあるのではないでしょうか?ソフトバンクのゲリラ型マーケティングにまんまと乗ってしまったとしか私には思えません。余程、マクロ的文化文明観や歴史観に欠けるマーケッターしか関係者にはいらっしゃらなかったのでしょうか?勿体ない話だと思います。
企業ブランドという本来は知的美的ストックであるべき個性ある無体資産を、単なる販促ツールとしてのフロー情報に変えてしまったのが今回のdocomoの変更だったのではないのでしょうか。
確かに時代や環境に合わせることは重要ですが、docomoは今日のわが国の課題というか、真の変革を必要としている時代を近視眼的に読み違えたのでしょう。王者はいくらでも王者らしい戦いが出来るはず、存在価値を示せるはずなのにと、15年築き上げたブランド価値損失に走った行為に遺憾の念を禁じ得ません。

そしてそれ以上に恐ろしいのは、ここに投資される費用が結局は消費者の上に覆い被さってくるという事実です。
街を埋め生活を埋めていく産業における事業責任という問題を、サステーナブル(持続可能)という企業の使命を、そして、極力無駄は出さないというエコロジーに対する企業姿勢を、果たしてドコモの皆さんはどうお考えなのでしょうか?

今からでも遅くはない、「日本全国津津浦浦の全てを新しいロゴに変えようとするとこれだけの費用がかかることが判明しました。私たちはそのようなお金の使い方をやめ、それだけの分を消費者還元させていただくことにしました」と宣言されたら、どんなにイメージは上がることでしょうか?今すぐコマーシャリズム(商業主義)発想から脱却し、無駄遣いはお止めになってはと思えるのですがいかがでしょう?

こうしたやらずもがなの戦略性無きさみだれ式ロゴ変更を見ていると、経済(売上利益)判断でしか動けない現在の多くの日本企業の知財権的・文化価値的脆弱さが気になります。今回のdocomoの事例はその典型例と言えるのではないでしょうか。今や時代は経済尺度や指標だけで動くものではなく、環境や文化を併せ持った上での発展といった新指標を必要としている時代です。そうした一歩先を行くチャンスやイメージマーケティング戦略を、先端インフラ産業であるドコモ社は逸してしまったとしか私には思えません。実に勿体ないことです。世の中には賢い消費者や企業魅力や文化に期待する生活者が沢山いることをお忘れになっては困ります。

「DoCoMoは変わり続けます」と確か広告には謳われていましたが、企業や事業は、存在哲学や経営理念をみだりに変えてはならないと私は考えています。

そこで最後に、前述の、IBMの名経営者と言われたT.Watson Jr.が、企業が永遠の存在であるために守るべき3条件として述べている言葉を呈しておきましょう。
1.(社内外問わず、誰もが立派だと思う)信条を持て
2.(何事があっても)信条を守り抜け
3.それ以外のことは全て変えてしまう勇気を持て
※( )内は中西の注釈です。



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坂本健介様(グラフィックデザイナー)からのコメント

Docomoどうした?を読んで、
理念不在で、儲け主義の企業が多いという現状を再認識いたしました。

これからは、「営利よりも営義」という精神でなくては企業の存在そのものが危うい時代ですから、すべての企業が志をもつことが要件となってくるように思います。

また、デザインは単なる販促のみならず、企業の志を表現するものであるべきだと思いますが、志不在の企業に対しては、情報の環境整備という観点から、理念構築の援助をするのもデザインの役目なのだと思います。

私自身、グラフィックデザイナーの一人として日々ロゴマークは制作しておりますが、「今、何を、表現するべきか」を今一度問い直していこうと思います。
ありがとうございました。

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投稿者 Nakanishi : 2008年08月08日 21:10