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昨年の事故入院時の記録から(最終回)

2008 / 3 /25

死生観とこれから

昨年の事故は、いろいろな意味で私自身の存在そのものを心身共に揺るがし変える程の大事件でしたが、その中で最も大きな変化は?と問われれば、「それは死生観について」と言わなければならないでしょう。ともあれ、あらためて自らと死というものについて考えさせられたことは確かです。

人の「死」という厳然たる事実に対し、最近は病院で最期を迎える人が多いのと、遺体と対面する時には綺麗になって棺桶の中に横たわった状態がほとんどであることに加え、火葬そのものも昔に比べると実に短時間に行われるため、どうも生から死、そして仏様になるまでの過程に人間臭さが感じられなくなったと思います。
私は、父母が長男長女であってその第一子であり、本家の長男という立場であるせいもあって、多くの縁者の死線上の生から死に至るプロセスを、子どもながらに近くで眺める経験を沢山重ねてきました。そのせいか、人の死というものを比較的客観的に受け止められるようになったと思えます。
霊柩車なるものに乗ってみたくて、頼み込んで棺桶の横の狭い空間に屈み込み火葬場まで行ったこともあります。そして、昔は遺骸を火葬するのに一晩を要しましたので、翌朝、お骨拾いに出かけました。当時は火葬の時間もかかりましたが、温度もそんなに高いものではなかったせいか、その人の病気で悪くなっていた部分だけが色も黒っぽく変化していて、周りの人から死因となった病気の部位や病巣の広がり等について説明を受けたことなど、今でもつい昨日のことのように思い出します。
そういう体験を何度かにわたりしておりますと、生死の流れを時系列的にそして観察者的に受け取れるようになっていて、突然にとか、不連続にとか、悲嘆の中で、といった状況で人の死を考えることがなくなるようです。

私自身の死生観はさておき、このたびの事故遭遇までは、私の家族や事務所のスタッフたちをはじめ周りの誰もが、そもそも私が死ぬなどとは考えたことは無かったのではないかと思います。ところが今回の事故を知ったその瞬間、もし私が死んでいたら・・・と考えたでしょう。人の死に目に会うという経験したこともない息子や娘にとっては、衝撃的な出来事だったようでした。その後1年余も経ちましたから、このことを周りの人たちが今はどう考えているか分かりませんが。

もちろん私自身も事故を境に、初めて自分も死ぬということについて意識し始めたのでした。直後は、「ひょっとしてこのまま死に至ることもあり得るのかな?」と思い、生き残れる望みが出てからは、「このあと果たしてどのくらい通常に近い状況で活動できそうか?」ということを考えました。
入院生活の終わり頃には、「特別な問題が起こらなければ、あと10年位は痴呆になることもなく何とか(仕事が)やれそうか」と思い、自身のやるべきことにどのようなテーマがあるだろうかと考え始めました。
その中で、最も強く思ったのが「本を書こう」ということでした。これまでの編著作は各国語版に訳されたものまで数えてみると既に50数冊にはなるのですが、自らの仕事記録としてはいずれも表層的な記録の域を出ないものが多いとしか思えませんので、何とかもう少し深い突っ込みの記録というか、私にしか記述できない神髄に触れる自著を残しておきたいと考えたのです。そこでテーマを挙げていきましたら、あっという間に10巻構成の本の企画になってしまいました。

このような顛末で、私の死生観の「生観」の方は結局仕事中心になってしまうのかなぁと思った次第ですが、使命感にかられ大学のサークル活動の延長でPAOSという会社を創り、それが運良く潰れることもなく今日に至った訳で、お陰様で、他人さまとは違った稀有な人生を歩ませていただくことになりました。この間蓄積してきました資料情報につきましては、私共しか持っていない未発表記録が山のように神戸の倉庫に眠っています。特に沢山の経営者の方々と交わさせていただいた話の中身や各社の調査資料類は、産業史的価値としても実に興味深いと思えるのですが、既に故人となられた方も多く、内容的に個人情報保護の必要性も存在しますので、保存や発表に関しては難しい側面を持っております。私のこれからの10年間は、あるいはそうした使命との闘いかもしれません。

それともう一つ、これまでに数々の貴重なキャリアを重ねさせていただいた人間の務めとして、頂いた諸賢の知恵と積層された諸企業のノウハウの諸々を、次なる時代を築いていただく若い方たちの知的美的資源として刻み込んでいくことも重要事と考えております。そこで思い至ったのが、おこがましいことですが、刺激触発や教育行動としての講演や講義への積極的参画です。今在る自分自身を振り返りましても、実に多くの先生や諸先輩に同様の恩恵を蒙ってきた事例は数え切れない程です。
「今考えていることはもう古い」は、私自身の人生指針です。常に人の真似やアイデアの盗用を戒め、自分を追い込むことでオリジナリティやクリエイティビティを発想し誕生させてきたつもりですし、形而上・形而下の成果を含め、それがPAOSという組織や私自身の最大の仕事実績と言えるかも知れません。
金になるのであれば少々破廉恥なことすらも厭わないという風潮の中、自身の創作人生そのもののデザインを、少しでも多くの若者たちにも果たして貰えればと願っているこの頃です。
いささか年寄り臭いと言われそうですが・・・。

(連載「昨年の事故入院時の記録から」 完)



投稿者 Nakanishi : 2008年03月25日 23:21