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亀倉先生との思い出2「松屋銀座のCI」

2007 / 8 /21

今でも「Mr.百貨店」の敬称で呼ばれる(故)山中カン氏ですが、山中さんが現在の伊勢丹のファッションをはじめとする先端百貨店路線を築かれたことはよく知られるところです(カンの字は正しくは金へんに貫です)。その山中さんが同社専務から助っ人として松屋に入られ、松屋銀座店を中心とする再生の協力要請を私が受けたのは1977年のことでした。
経済の安定成長期であった当時、わが国百貨店業界は小売り業態としてはいささか時代に置いてきぼりをくったような状態で、ダイエーやイトーヨーカドーなどの俗に言うスーパー、すなわちチェーンストアビジネスが、年率20%以上の売上げ伸び率を示す中にあって、東京都内の百貨店の平均が3〜4%という低成長でした。中でも松屋は、対前年97%というマイナス成長下にあり、多くの支店等を処分した瀬戸際経営の渦中にありました。
この松屋再生プロセスの詳細につきましては何かの機会に山中さんの話を中心に書かせていただきたいと考えていますが、亀倉雄策先生は当時、広告界の稀代の才人デザイナー&コピーライターでもあった向秀男さんと共に、松屋のデザイン顧問をしておられたのでした。

これはプロジェクトのスタート時に、亀倉先生から直接伺った話ですが、私共が松屋から依頼を受けた当初、PAOSに松屋再生のCIを頼んだ事実が判った際、同社銀座店に本拠を置くデザイン・コミッティ(わが国の各デザイン分野を代表するデザイナー50人程の組織)のメンバーの中から、「どうしてわれわれがいるのに、PAOSだか中西などというよく分からない駆け出しの所に仕事依頼をするのか?」と問題になったことがあったのだそうです。確かに1977年頃の私どもはDECOMASの本を著していたとはいえ、まだまだデザイン界では無名に近い存在と言えたでしょう。
でもこの疑問が呈された時、コミッティの理事長であった亀倉先生は「この店が、今20億近い金を掛けて生きるか死ぬかの戦いに挑もうとしている。この中で誰か『俺なら責任を持ってこの店を救ってやる』という人がいたら名乗り出て欲しい」と言われたのだそうです。


「そうしたら皆黙って下を向いて何も言わなかったよ。それぞれの分野ではみな大先生だけど、経営的な責任なんか誰も取れないんだよ。だから中西君、今度のプロジェクトは思い切ってやりなさい。今後はもう文句をいう人はいないだろうから」と言われたのでした。

結果的に松屋で私がやったことは、この百貨店のシンボルマークやロゴをはじめ、百貨店の顔とも言える包装紙や手提げ袋など、亀倉先生の労作ともいえる代表的なグラフィックデザイン要素やアイテムを全て否定し変えてしまう仕事だったのです。



松屋の旧シンボル(松鶴マーク):社章として残った



「松屋」と「銀座」を対等の大きさで扱った新ロゴ



最初期の包装用品



旧新手提げ袋(旧手提げ袋は亀倉先生デザイン)



売上げも株価も好調な現在の店舗外観(PAOSのデザインではない)


もちろん、松屋再興のコンセプトの策定をはじめとする諸行為は、山中社長や亀倉先生の支持を得てのプロジェクト進行だったのですが、こうしたことを契機に、松屋銀座はその後約3年にわたり対前年同月比で2桁成長という離れ業を演じてくれたのでした。



CI導入後の売上高の伸び(下降時期は売場改装工事中)


今思い返してもみても、亀倉先生は本当に大きく懐の深い人、デザイン界の巨人にして大先生であったと思います。




投稿者 Nakanishi : 2007年08月21日 12:50