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どうして「デザインは工業化時代から抜け出せないのだろうか」

2007 / 6 /18

最近気になることのひとつですが、「デザインはどうして情報化時代の価値体系に入っていけないのか?」という疑問です。
これはあるいは私の個人的な疑問かもしれませんが、いつまでも物づくりや表現の妙にばかり神経を注ぎ、戦略や仕組みのデザイン、あるいは新しい価値体系のデザインに活動範囲が拡がっていかない不思議さやもどかしさで、こうした疑問の念を、どうしても拭い切れないのです。

昨今際立ってきた世のデザインブームというか、市民生活者のデザインに対する関心の高さを見ていると、明らかにそれは物づくり的作品主義や仲間内だけのデザインが求められているのだとは思えないのです。そうした形や色による表現、あるいは社会的な公用価値を持ち得ない習作主義が繰り返されていると、デザインが産業と呼べるような存在になれないのは自明の理ですし、大企業や行政の経営トップが自らの問題として真剣に考えるマネジメント課題にもなり得ないでしょう。総じて言えば、これはデザイン分野が「未だ工業化時代型物づくり発想の価値体系から抜け出せていない」ことの表れだとも断じられると思います。もちろん、美しい一品性の価値の創出を否定するつもりは毛頭ありませんが。

今日のデザインに求められている最重要課題は、物のデザインを越えていく「社会的価値や生活のシステム価値のデザインを生み出すこと」とも言えるのではないでしょうか?
たとえば昨今話題になるWeb2.0と1.0の違いは、明らかにITの個人主義化でしょう。企業など発信元から送られてきた情報を唯々諾々と受け入れているだけでなく、生活者自身が自らも発言し発信して新しい情報ネットワークやネットシチズン社会を構築しているところにWeb2.0の価値はありますが、この状況は情報化社会の市民の在り方を象徴していると言えるのではないでしょうか。

デザインが工業化社会から抜け出せていないと私が申し上げるのは、デザインには未だこうした産業構造的インフラとも呼べる情報化社会型価値構造が構築されていないばかりか、そうした第二次産業革命型の志向すら見られないと見受けられるからです。

たとえば、かつて郵政省が通信白書に情報消費率なる指数を発表していた時期がありました。これは世に放たれた情報のうち果たしてどの位が目的を達して目指す相手に到達し得たかの統計なのですが、インターネットの出現でこうした情報到達率のカウント自体ができなくなってしまいました。これはメールのような個人的情報交換が大半を占め、公的なカウントだけでは無意味になってしまったからですが、これなどはまさに個人主導の川戸(かわのと)発想型の価値創出構造が生まれてきた証左でしょう。
川戸産業発想とは、川上・川中・川下産業の次に来る産業構造と私が主張している考え方ですが、従来はデザイナーやメーカーが上流の送り手として存在し、世の中の価値体系を形成してきた構造で、消費者・生活者はあくまで与えられた価値や製品の中で暮らしを作っていく、いわば「上から下への価値体系」に基づくものでした。言ってみればまさに工業化社会型消費生活構造です。
これに対し、川戸発想の構造とは、淡水と海水が入り交じる汽水域のような状況を指し、消費者自身が物づくりや購買に自主的に参加したり、時には物やデザインの行方を主導したりコ・ワークしていく産業構造です。これはまさに情報化社会にならずしては存在し得ない価値作り、あるいはライフスタイルと呼んでいいでしょう。でき上がり提供されたものを批評するに留まらず、自ら必要な生活価値や社会的価値にもの申し、新しい時代を起爆していく時代の出現したのです。

現代のデザイン界が必要としているのは、まさにこうした時代に相応しいデザイン哲学や方法論を開発していく意識であり行動ではないでしょうか?
それ無くして、「デザインが牽引する」ことによる「文化成長が経済成長を牽引する構造」などあり得ないと考えますし、この国が美意識ある文化先進国になどなり得ないでしょうし、市民が優れたデザインを競って楽しむライフスタイルなど生まれ得ないでしょう。つまりこうした状況の出現無くして、デザインアート(作品)がデザインインダストリー(産業)になど成長し得ないと思います。

最近は巷間「国家のデザイン戦略」などといったテーマが話題になりますが、所詮デザインが個人プレーや作家作品と考えられたり、物づくりの補助手段と認識されている状況下では、大した経済規模になり得ないことぐらい専門家でなくても理解できるところではないでしょうか。
その意味でもデザインの戦略発想と方法論の構築が急がれるのです。



投稿者 Nakanishi : 2007年06月18日 19:10