中西元男 実験人生
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Gマーク50周年2,「民営化に当り考えていたこと」

2007 / 5 /17




ところで、先般Gマーク50周年を記念した産デ振(JIDPO)主催の連続パネルディスカッションが東京・金沢・名古屋と開催され、私は最後の福岡セッションにパネラーとして出席の予定となっていました。ところが、開催日の5日前に思わぬ交通事故に遭遇してしまい、急遽欠席のやむなきに至ったのでした。
そのため、お集まりいただいた地元の皆さま、鼎談させていただく予定の岩倉信弥さん(多摩美術大学教授)・佐野寛さん(モスデザイン研究所代表)およびコーディネーターの森田昌嗣さん(九州大学大学院芸術工学研究院教授)をはじめお世話いただいた皆さまに大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。

そこで、出席した際にお話ししたいと用意していた内容について、せっかくですのでその時のメモをもとに、いささかの私見をお披露目させていただきたいと思います。


Gマークの審査にはつごう7年にわたり関わらせていただいたことになりますが、「Gマークと私」と言えば、やはり民営化を成功させるべく頑張った委員長時代ということになります。それは1998年からの3年間なのですが、デザイン界に永く身を置く者としてある種の勝負の時であったと言えようかと思います。1998年はその前後20年位の業績推移グラフを見ていても分かることですが、まさに本制度の大きなターニングポイントの時期であったと言えます。
お陰さまでそれ以降のGマークは順調に発展を続けているわけですが、民営化再興時に私自身が考えたことについて、ここでまとめておきたいと思います。



1998年Gマーク民営化当時の最初の目標は、「潰さないこと」
当時、頼まれるままにお引き受けした総合審査委員長という職責でしたが、Gマークの経営実態は完全に財政的には火の車状態であったと言えましょう。《Gマーク民営化》と言えば聞こえはいいのですが、着任直後にまず考えたことは、この貴重な制度を潰さないこと、でした。


通商産業省(現 経済産業省)主催という保護の元から民営化していくというのは、経済的に自立するということですから、その具現化を確実に図ることが急務でもありました。
そのため、同時期に着任された久禮理事長が徹底して内部からの改革を進められ、私は外部から従来の制度見直しや位置づけの作興を図るという作業に手を付けていきました。経理的にはいわゆる「出るを抑え入るを増やす」ことの諸策実施です。
この際の私の役割は、まずGマークの存立哲学を再構築して明示し、存在そのものの感覚訴求力を刷新すること、そしてGマークが全く新しい制度に生まれ変わりつつあることを、広い意味でのGマーク関係者や関心を持っていただける方たちに注意喚起をしていく策の構築、およびその遂行でした。前者の理念ドリブン策はうまく行ったと思えますが、後者の変化進化する感覚訴求策はイメージした意図がうまく伝わらず、表現的に未消化に終わったと言えましょう。
もともと従来のGマークの屋台骨は、通産省と家電・自動車等の大メーカーとの関わりを軸に成り立ってきていた感が強かったものですから、まずは従来からの後ろ盾とも言える大企業からの見限りを阻止することが重要事でした。
そこで、産デ振からの提案で、従来からのGマーク推進派でもあった大手の応募企業40社のデザイン担当役員や部長にお集まりいただき、この方たちに民営化・新制度に協力を依頼する会合を催すことから始めました。
「Gマークは世界最大のグッドデザイン表彰制度であること」「40年以上も続いた世界的に見ても貴重な制度であること」「一企業のデザイン部門という以上にわが国のデザイン界全体にとって利用価値の高い貴重な仕組みであること」などを訴えました。特に、分かりやすい訴求ポイントとしては「Gマークには、何と通産大臣賞が14もついており、デザイン界全体としてこれを大切にしない手はない。もし一度廃止してしまえば再興するのが大変であるばかりでなく、これほど数多くの大臣賞を獲得するのは容易ではない。それを考えても一企業のデザイン部門という考え方を越え、日本のデザイン界全体という立場に立ってお考えいただけないだろうか。極端なことを言えば、落ちてもいいからともかく民営化に際し参加の姿勢を貫いていただきたい」と実に乱暴で強引なお願いを行ったのでした。併せて料金体系の見直し(相応額への値上げ)や、審査制度のムダも極力コストセービング型で改革推進していきました。


こうして応募のふたを開けてみると、わが国経済の低迷期にも関わらずそこそこの数字が確保できたのでした。従来からすると無理とも言えるお願いもいろいろしましたが、大手メーカーの皆さま方に新しい主張が理解されたと安堵した次第でした。



新しい理念・哲学・方針の明示
経営不振企業の場合でも同じことですが、こうした改革を行う上で最も重要なことは先ず第一に芯となる「新しい理念の確立明示」をしていくことです。
もともとGマークを支えてきた主義主張は「産業に資する」であったわけですから、ならばこの発想をもう一歩深耕した思想をGマークの根幹においてはどうかと提案しました。確かに優れた造形性や色彩が人々の生活に大きな成果をもたらす益は否定できないのですが、少なくとも高度の賞に選ばれるレベルの候補作は、そのデザイン成果が優れたビジネスをつくり、大きな利益を生み出す営利行為をもたらすものでなければ、産業に資する優れたデザインとは言い難いでしょう。その意味でグッドデザインとは単なる鑑賞物や特定のデザイン愛好家の嗜好品を越えて、明らかに経済的利益をもたらす存在であることが必須条件と言えましょう。このことはGマークの主要なバックボーンでなければならないのだと考えました。

加えて、多くの人から「何のためにGマークは存在しているのか?」と問われた時、単なる物のコンクールを越えて、もっと幅広い国家的方針や社会的存在意義が必要であることも忘れてはならないと考え、次のような次世代指針も設けました。
1. Gマーク賞を日本の社会、日本人の生活の美的・快適インフラの根幹たる存在とする。
2. これからの時代、デザインが果たす役割やその世界は、デザイナーだけの職能でカバーしうる領域を遙かに超えていく。
(このことについて青木部長(当時)からは「デザイナー村から出ることが重要」との発言もありました)
3. 審査姿勢の見直しを行い、審査委員は審査の基本方針を変えることを重視する。
 a.「好き嫌い」と「良い悪い」の評価を区別すること
 b. 上から下への発想で考えないこと
 c. 価値の多軸化と最適主義時代への対応に配慮すること
4. 新領域デザイン部門を創設し、たとえば以下のような選択軸に配慮し、デザイン分野そのものの領域拡大を図っていく。
 a. デザインにより日本のDNAを活かした新しい価値の創造を具現化する
 b. IT、バイオなど先端分野を積極的にGマークデザインに取り込んでいく
 c. 形・色のデザインから仕組みのデザインに至るまで評価対象を拡げる
 (これからは、「見えるデザイン」以上に「見えないデザイン」こそ重要)
5. 表彰式に納得とエンターテイメント性を持たせる。
6. 川戸(かわのと)発想時代のグッドデザインを探求すること
 a. より個人主義へ、より1to1グッドデザインの追求へ
 b. 生活者・市民参加型デザインワールドの構築
 c. 情報流通コンプレックス時代のデザイン価値の創造

以上が民営化にあたり構想したことの大綱です。
どこまで実現が計れたのか定かではありませんが、Gマークの自主・自立・自前・自力を考えてのディレクション策定でした。



投稿者 Nakanishi : 2007年05月17日 21:04