中西元男 実験人生
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今こそ重要、「デザイノロジー」の確立と新価値創出

2006 / 9 /28

かつて「早稲田大学デザイン学部設置への試案」なる提案を成した。


この際の発想が、多分に私の仕事人生を貫き通していると考えている。1962年の早稲田祭に発表したこの構想は、これから必要なデザイン学部は、美術学校の延長上の表現職能教育としてのみ置かれるのではなく、分野を異にする多くの学部が揃い、横断的・学際的メリットが享受できる総合大学の中にこそ設置されるべき、との提案であった。


001.jpg
※「早稲田大学デザイン学部設置への試案」掲載誌(1963年3月号)


たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチがそうであった如く、ルネサンス期の芸術家は文芸復興を下敷きとして全人的な活動をしている。この学部構想も、今後のデザインは各種専門分野横断型で、調和ある発展を図る共有理念としての役割を果たしていかねばならない、との発想に基づいていた。


バウハウスの創設者ワルター・グロピウスは、「デザインはあらゆる分野の共通公分母」との言葉を残している。


確かに、デザインの主要ミッション(使命)とも言える「審美性」「快適性」「安全性」「個性」などは、生み出されるあらゆる人工物に採り入れられていった方が好ましい共通因子であることは間違いなかろう。それは携わる人が意図するか否かは別にして、そうあることが望ましいはずだという話である。そしてこれは、人による全ての所産は「汚いより美しい方がいい」「危険であるより安全である方がいい」といった主義主張の展開と具現化を意味しており、こうした考え方を私は早くから「デザイニズム」と呼んできた。


当時の発想では、高度経済成長の旗印のもとに専門分化し相互の調和を失っていく「部分最適化発想」の問題点をどこかで是正していく、横断的・学際的分野を世の中が必要とする時代が必ずやって来ようと推論していた。その役割を全人的に担う最適分野こそデザインであるとの仮説に基づき、新デザイン学部構想は起案されている。

その提案は、要約すると以下のような趣意である。


「生産第一・効率第一の工業的産業発想はやがて問題を起こし、人間中心の美や文化の価値を採り入れた成熟モデルを必要とする時代を招くであろう。将来を見据えその時に備え、早稲田大学は総合大学の利点を活かして、デザインの価値を理解しこれを活用できる政治家・経営者・行政担当者・教育者等を今から育てていくべきである」と。


そして、こうした主義主張の理解者・推進者たちを、デザイナーとは別に「デザイニスト」と呼ぼうとした。この研究の母体となった早稲田大学デザイン研究会のOB・OG会は「デザイニスト・早稲田」と称し、その呼称を冠した会員名簿が今も私の手元に残されている。


002.jpg
※早大デザイン研究会OB・OG会記念写真と「デザイニスト早稲田」の名簿(1981〜2年)


そして40年余を経た今日、私自身が手掛けてきた仕事の内容と歩みにたまたま触発を受けられた早稲田大学の白井克彦総長から、「中西さんの考えているところを、学部構想として白紙の状態からプログラム提案して欲しい」との依頼がなされ、「戦略デザイン研究所」なるプロジェクト研究所が大学の中に設けられた。そしてベネッセコーポレーションの福武總一郎会長やAOKIホールディングスの青木擴憲社長からの篤志も受け、構想の具現化に向けて有志による私的な研究活動がボランティアベースで地道に続いている。通常の業務に加えての研究活動ゆえ時間確保がままならない状態だが、少しずつでも同好の士を集め活性化していければと願っている。加えて、こうした構想は早稲田大学の枠内だけに留め置くのではなく、広く日本やアジアのデザイン系・文化系・経営系教育のプログラムに活かしていきたいとも考えている。


これまでコンサルタントとして手がけてきた多くの企業のCIプロジェクトやブランド戦略等で、私が志向し具現化に努めてきた主たるビジネス内容は、前述のデザインの基本発想を企業経営の中に極力注入し、経営の変革や刷新を図ろうというものであった。40年近くも続けてきた実務やプロジェクトの成果として、かなりの数のサクセスストーリーも生まれ、考え主張してきた構想や手法が、確実に実を結んでくれた実証例の記録も、あまたストックされるに至った。


多くの人は、デザインと言うと色・形・模様の世界に限って捉えがちだが、私の場合、「核・拡デザイン」なる発想で可能性を広く捉えてきた。「核デザイン」とは前述したデザインの基本軸に基づくところであり、他方「拡デザイン」とは、これを企業価値・市場的価値・社会的価値の創出に展開していくことで得られる成果を意味している。


こうした描きでは、通常「理念や存立哲学のデザイン」「組織的な仕組みとしてのデザイン」ロゴやブランドのような「表象・表現としてのデザイン」の3軸に分けての、構造的ソリューションを必要としてきた。


実際の仕事を通じて得た幾例もの実務経験から言えることだが、工業化時代のわが国の企業化社会は、基本的に部分最適化の集合で組織的合意を前提に問題解決と進歩を図ろうとしてきた。この結果が功罪何を招いたかは今更言うまでもなかろうし、組織内発想しかできない後遺症は今も跡を絶つことなくCSR (企業の社会的責任問題) として露呈し続けている。


時代が変わり、情報化社会・高度情報通信社会・高密度情報共有社会へと情報革命が進捗を遂げるにあたり、人も企業も行政も、常に全体最適化を部分最適化に優先させ、関係性を配慮しながらソリューションと進歩を図ることが重要な時代に入ってきたと考えざるを得ない。


思うに、グローバルに見て日本ほどの特異ケースの問題解決を迫られている国はなかろう。生産力・経済力・人口と国土 (有効) 面積・都市と地方のアンバランス、個人資産エゴと社会資産価値の喪失、食糧やエネルギー資源の自給率の圧倒的な低さ、環境問題等々、どこから見ても教科書的範を海外から得ることの不可能な特殊モデルが、わが祖国の実情と言えよう。


ただ、その一方で巨視的に視野を広げて見ると、日本という国の歪(いびつ)さは、そっくりそれが地球全体の現状での歪さに酷似していたりもする。ゆえにこれからの時代、先進国と後進国の問題として随所に露呈している落差の大きい課題の解決モデルを、日本は自ら提示できるのだと見なせなくもない。


それにしても、この国の独自の課題やアイデンティティ確立の解決軸は、果たしていずこに求めていけばよいのであろうか。


今、日本という国が必要とする基本パラダイムとは、拙著や拙稿で長く主張し続けているところだが、「美しく調和がとれ、持続性のある生活と社会をつくり出すトータルソリューション」である。そして、こうしたソリューションの主要軸として考えられるのが、前述の戦略デザイン発想ではなかろうか。


美意識に溢れた「審美性」をもってこの国を魅力的にし、ユニバーサルデザインやエコロジーデザインに代表される「快適性・安全性」の実現によって暮らしやすい国や社会を生み出し、「個性」を創出していくことで、他には無い独自の国家価値を生み出していく。
そうしたガバナンスを推進していくための新しい『デザイノロジー』なる「学の確立」を、今私たちは必要としているのではないだろうか。


すなわち「理性と感性の併立によってこそ成り立つ、デザイノロジー/デザイニズム/デザイニストを創出し確立を図り、日本の戦略的アイデンティティデザイン (SID) の構築を図っていくことこそ肝要」と私は考えている。


戦略デザイン学研究は、そうした右脳と左脳の発想を併立させる、新たなるヒューマンソリューションの一歩でありたい。



投稿者 Nakanishi : 2006年09月28日 19:55