中西元男 実験人生
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COMMENT

« 青色発光ダイオードの発明者:中村修二先生のお話から。メインアップ・デザイン創設から40年 »

ハッキリ批評することの是非

2006 / 3 /14

この頃、いろいろなことをなるべくハッキリ述べようと考えております。こうした姿勢はやめた方がいいとも忠告を受けるのですが、良いところも悪いと思えるところもなるべく事実と私見を正確に述べることが重要ではないかと、最近特に強く考えるからです。しかし、何事もオブラートに包んだような表現が一般的に好まれるこの国では、こうした姿勢はあまり歓迎されないのかも知れません。ただ、小泉首相が人気を博す背景は、この人が単純明快に言ってのける旗幟鮮明さにあるとも考えられます。その意味では「わが国の個人主義の時代が進み始めていると」見られないでもありません。


かつてハーバード大学のビジネススクールに講演に招かれた時に聞かされた話ですが、「アメリカの企業は教育用のケーススタディとして採り上げたいと言うと、たとえ失敗事例であっても全面的に協力してくれ内容や資料を明かしてくれるが、日本企業の場合は成功事例以外はほとんど応じてくれない」のだそうです。アメリカ企業が喜んで協力する理由の一つは、ハーバードのMBAで取り上げられることはたとえ失敗事例であっても名誉であると考えられること。そしてもう一つは「教育や参考という点では、むしろ失敗事例の方が後々のためになることが多いはず」ということなのだそうです。


確かにこれは難しい問題です。誰しも自分のまずい過去には触れられたくないのが人情でしょう。ただ、まずいと言われても直しようのない身体的な問題や過去はまさにその通りでしょうが、明らかにすることによって後々の教訓や布石になる過去はどうなのでしょうか?


たとえばわが国デザイン界の問題の一つは、ニュートラルで厳しい批評家が存在しないことです。それがデザイン界の進歩や対外的競争力強化の足を引っ張っているとも言えます。評論家の役割とは、専門的な特徴や問題点を解説することにもありますが、厳しいプロの目を持っての批判も重要な役割ではないでしょうか?見渡してみると、音楽や絵画などの世界には実に厳しい評論家たちがいて、そのことが専門分野の発展に寄与しているケースは多々見られます。


それに比べデザイン界では、デザイン作品に厳しくもの申す、これはといった評論家など見あたりません。


若手バレリーナの登竜門に、ローザンヌ国際バレエコンクールがあります。今年は日本人の森志乃さん(16才)もスカラシップと賞金を受賞し、世界の一流バレエ学校に1年間授業料免除で留学する権利を与えられたとのことで、心から祝福したいと思います。


私はこの催しが大好きで機会があれば注意して見るようにしておりますが、そうなったきっかけは、初めてこのコンクールのTV放映を見た十数年前の解説者のあまりにも直裁で厳しい、まさに経験を積んだプロでなければ言えない評価に驚き感心したことにありました。パリのオペラ座バレエ団の総監督であったという彼女は、本選に残った選りすぐりの十数人のバレリーナの卵一人ひとりを評して「この人は先生を変えた方がいい」とか、「衣装のセンスがなってない」とか、「この人は能力が無いから早くやめた方がいい」などとハッキリ言うのです。


ただ、これにはただし書きの発言がついていて、「ここは世界に通用する一流の人を見つけ出し育てる場だから、才能や見込みの無い人は早く諦めさせた方がその人のためだ」との理由なのです。実は私がGマークの審査委員長を引き受けた際、一次審査を現物ではなく書類審査にしようと提唱したのも、二次三次と続けても絶対に受賞の可能性のないモノは、無駄な時間や費用を使う前にハッキリさせた方がお互いに得との、この発想に端を発しています。


最近のローザンヌバレエコンクールの番組解説は、どちらかというと批評型というよりは解説型になってしまい、以前に比べるとかなりつまらなくなってしまいました。そうした解説型と批評型の比較の上で一体どちらの姿勢がその分野に益をもたらすのかと考えると、どう見てもそれは後者だろうと思えるのです。


私自身もデザインの世界で長くビジネスをさせて貰ったお陰で、「胆識」というか、結構瞬時にして善し悪しを見抜いたり、将来までの流れを見通して連続上の流れを想定しながら目の前の事例を判断できる能力がついてきているように思えます。そして、そのことをデザインを活かす世界で活用することも、そろそろ自分の役割ではないかと思い始めているのです。でもこうした姿勢は「批評する側・される側、どちらにとっても損だからやめた方がいい」という意見も強いのです。お読みくださっている皆さんは果たしてどうお考えでしょうか?


もう一つ加えておきますと、これから日本人が国際的にビジネスを行っていく上でも、こうしたやりとりにも慣れておいた方がよいのではないかと私には思えるのです。


たとえば接することの多い中国人の事例を見ていると、中国人同士では商売の交渉などでも、この二人の関係はもうおしまいだなと思える程に激しくやり合います。ところが一旦別れて再び夕食の卓につく時には、先ほどの掴み掛からんばかりのやり取りは一体何だったのかと思えるほどニコニコ顔で談笑しながら会食をするのです。そうした場を何度か見てきた私は、中国の人と話をする時はなるべく駄目元と思えるようなことも遠慮無く言うようにしています。そしてこれから中国人とビジネスをやろうとしている人にも「決して遠慮しないで」とアドバイスするようにしています。


日本の習慣の良さとは、相手のことを慮ってやさしく接するところにあることは理解できますし、その美風も失うべきではないと考えます。しかしこれからの時代、ハッキリと私見を述べる姿勢も合わせて持つ、いい意味での二面性や批判精神も重要と考えるようになってきているこの頃です。



投稿者 Nakanishi : 2006年03月14日 18:07