中西元男 実験人生
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わが父母の祝プラチナ婚

2006 / 2 /11

※全景


私事で恐縮ですが、この2月3日が両親(政太郎・みち子)の結婚70周年の記念日でした。


そこで4日の土曜日を利用して実家のある神戸に、私たち兄弟をはじめ、息子・娘からひ孫まで4代総勢20人が集まり賑やかにお祝いの会を催しました。私自身は、今の実家所在地で何十代も続いた中西家の長男:総領息子でありながら東京に飛び出して来てしまったため、いまや実家の家督というか面倒は弟がみてくれています。この弟:英男とゆりの夫妻が実に行き届いていて、普段は老人ホームに入っている両親の世話から我が家の資産管理の問題まで気配りよく世話をやいてくれるため、こうした父母を囲む集まりも誕生日をはじめ機会あるごとに可能になっています。


※プラチナ婚を迎えたわが父母


調べてみるとどうやら結婚70年記念というのは、プラチナ婚と呼ばれているらしいことが分かりました。ただし、これはアメリカの場合で、イギリスの場合は65周年を指すというように諸説があるようです。父93才、母91才夫婦の祝宴で、長寿社会になったとはいえ、わが両親のように夫婦そろって長生きというケースは、やはりまわりを見渡しても珍しいことです。
母は多少認知症が出ていて今あった人のことも今話したことも即忘れてしまうのですが、普通に会話をしている分には受け答えはまるでそつがなく、仏様のようにニコニコした表情で誰が話しかけても応じてくれます。食欲も旺盛ですし実に楽しそうに時を過ごしているように見えますので、久しぶりに会った人は認知症などと気づかないほどです。

父の方は意識もしっかりしていて、プラチナ婚の集まりの日もその日のために編集されたスライドショウの解説をしっかりやっていました。最初に映された写真は、父のそのまた祖父母:政兵衛夫妻の金婚式に親族一同が集まった時のものでしたが、およそ85年前の記録です。そこに写っている今は亡き大部分の登場人物一人ひとりにつき父は楽しそうに説明していましたが、私でも分からない人が沢山いるくらいですから、若い孫やひ孫たちにはほとんど通じなかった話でしょう。が、そこは血のつながった一族ゆえ、実に和気藹々と楽しい会になりました。


※85年前の私の曾祖父母金婚式の写真を眺めながら

※ 記念すべき日の最年長(93才)と最年少(2ヶ月半)

この度のプラチナ婚の会は、車いす生活の対応など、何か突発事態が起こった時が大変なのでいろいろ調べた結果、設備面なども配慮してホテルオークラ神戸を会場に選び催しましたが、最初の記念撮影から最後のひ孫たちによる花束贈呈まで、ホテル側の準備もよく実に楽しい雰囲気で進行されました。


齢90を越えるまでの高齢になると、私たちにもきれいなお花以外に特に両親に送るものとてなく、また仮に何かを贈ったとしてもそれが使われる可能性もない状況です。そして驚いたのは、逆に父から孫たち9人全員にチョー多額の小切手が贈られたことでありました。つまり、この集まりが父にとっては余程嬉しかったのでしょう。もちろん孫たちも思わぬボーナスに最初はきょとんとしていました。


昔から、父はともかく無駄な出費や賭け事のようないい加減なことに金を使うのが一切いやな性格の人で、いつの場合も何百万何千万という支払いでも常に現金か小切手でしか行わない主義の人です。借金など一度もしたことがありませんし、もちろん保険などにも一切入りません。クレジットカードなども持とうという気持ちのかけらすらない人で、ちょっと見には実にシブチンに見えますが、出すべき時には思い切ってドカンと出す父らしいところを今回も見せてくれ、年齢的に何かと物入り世代に属する孫たちそれぞれも受け取った額にビックリと歓びの素晴らしいひと時でした。


ともかく、プラチナ婚まで至れば、両親にもうひとがんばり長生きして貰って、次はダイヤモンド婚(結婚75周年)のお祝いにまた皆で集まろうと話し合って別れて行きました。その時は父が白寿を迎える歳でもあります。ここまでくれば是非、長寿夫婦(みょうと)記録をつくって貰いたいものです。



投稿者 Nakanishi : 2006年02月11日 18:26