中西元男 実験人生
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COMMENT

« 新日本様式(Japanesque Modernメインハッキリ批評することの是非 »

青色発光ダイオードの発明者:中村修二先生のお話から。

2006 / 2 /27

早稲田大学からのご依頼で、ここ1年程続けて開発作業のお手伝いをしているプロジェクトにASMeW(先端科学・健康医療隔合研究機構)があります。これは文部科学省から特別の研究予算措置がなされている一般にスーパーCOEと呼ばれている企画で、私立大学において現時点でこのプロジェクトが認められているのは3大学だけとか?それだけに大学側も大変力が入っていて、参加する専門学者130余人が全員博士号の持ち主とのことで驚きました。PAOSでは、この機構に関する主要なデザインにつきお手伝いしています。


その第2回目のシンポジウムが「早稲田の挑戦と<大学力>」と題し、去る1月17日に開かれました。専門的には門外漢の私にどこまで理解できるだろうか?と自らいぶかりながらも、この催しにおける総合的なデザイン展開のことが大変気にもなったので出かけてみました。


その中の演目の一つ、ゲストレクチャラーとして招かれた青色発光ダイオードの発明者として有名になられた中村修二博士(カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)のお話が実に面白かったので、一端をご披露してみます。


※中村先生のご講演

中村先生のご講演で、なるほどこれは体験者でないと語れない面白さを持つと感じた点が2つありました。一つは「日本の大学受験の奇妙さ」と、もう一点は「裁判における日本の司法の遅れ」に関する指摘でした。


中村先生は、わが国の受験そのものが基本的に「超難関ウルトラクイズ」的で、受験以外にはその後の人生において全く役に立たないと断じ、ある意味では多くの人にとって大学受験が人生の最大難関事であり、その一方で、入学できさえすれば楽に卒業出来てしまうところが日本の大学で、その後は企業への就職を目指すだけだから、目標を持って学ぶなどということがなく遊んでしまう。まさに日本の大学受験制度ほどナンセンスなものも珍しい、というお話でした。


これに比べるとアメリカの場合、大学入試は内申書50・面接25・入試25といった割合だそうで、卒業時というより入学後から学生達は基本的にそれぞれベンチャー起業家を目指しており、企業に就職していくのはむしろそうした事の出来ないレベルの低い学生だというのです(これは理工系の場合という前提だですが)。


そういえば、以前スタンフォード大学の工科大学院(MOT)に講演で招かれた際、話を聞いた100人弱の聴講生の中の15人程は既に自分の会社を持っていて、「私が就職しないで成功したその道の先駆者」(私自身は学生起業家などとの意識を持って始めたわけではなかったのですが)ということで、彼らが皆で寄って記念品を贈呈してくれ、驚いたことがありました。その時の経験からも中村先生のお話はよく理解できました。


確かにわが国の場合、中高大学の受験を通じ有名校に多くの生徒を送り込んだ先生が良い先生ということになり、これは生徒個々人の個性や人間力の伸長にはほとんど寄与していません。その意味で、日本の教育制度は相当遅れた、顔の見えない組織人養成機関と言えるのではないでしょうか。


もう一点、中村先生はわが国の裁判制度のおかしさについても述べられました。これは先般のニュース等で相当話題になった事件ですが、サラリーマンとして勤められた雇用企業との係争の話です。この件はそもそも、かつてご自分が勤めておられた会社からアメリカの企業に機密漏洩しているのではないかと裁判を起こされたことに端を発しているのだということです。そこで中村先生は、今度は日本で相手企業に対し、世紀の発明である青色発光ダイオードの特許使用に関する正当な支払いを行って欲しいと、逆提訴に出ることになったのです。


この間のやりとりは新聞等でも相当話題になりましたし、これがきっかけで発明者と勤務先の間で同様の訴えが続いたりもしましたので、この件が知的財産権に関するわが国の企業と個人の関係のあり方に大きな波紋を投げかけたことは、ご承知の方も多いでしょう。


私がなるほど面白いと思ったのは、日米間における裁判というものに対する余りにも大きな見解の差でした。


中村先生によれば、アメリカでの裁判とは「正義と悪を決めること」であり、日本では「両者にとって良い落としどころを決めること」とのことにあるようです。こうした背景の違いがあるためでしょう、アメリカでは映画の主題に最も多く取り上げられるのが裁判事件だそうで、これに対しわが国では裁判が映画の主テーマになることはほとんどないのだということです。そう言われてみると裁判というものに対する彼我の差は実に大きいと考えざるをえません。


ともあれ日本における中村先生の法廷闘争は、天井に届きそうなくらいの証拠書類を積み上げて争った結果、「功績は認めるが、企業の存続が危ぶまれるような判決は出来ない」との結論だったようです。こうした場合、わが国の裁判では利益衡量という考え方があって、たとえば法廷闘争の相手には4,000人の社員がおり、その人たちが路頭に迷わないような配慮がなされるとのことです。その結果、支払われた金額は請求額の百分の一(8億円)で決着したのだそうです。しかもこの裁判事件には笑い話のような結末が付いていて、判決の日に出かけてみるとそれまでの裁判長が別人に変わっていて、聞くと、これまでの裁判長は直前に定年退職で辞めてしまっていたとの説明だったそうです。



投稿者 Nakanishi : 2006年02月27日 18:12