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« 早稲田大学戦略デザイン研究所 2「出発点と将来創り」メイン「優れたシンボルは思想の凝縮」1 »

思い出の経営者1、ダイエー :中内功さん  「判断しやすいようにプレゼンして欲しいから」

2006 / 1 /16

昨年も親しくお付き合いいただいた何人かの経営者の方々が鬼籍に入られた。皆さん高齢者になっていかれる訳だから致し方ないのですが、やはり逝去の知らせを見ると実にさびしい思いが残ります。そうした方たちの中でも特に思い出の深い方を当時のプロジェクトの内容と共に取り上げてみたいと思います。お一人はダイエーの中内功さん、もうお一方はキリンビールの本山英世さんです。


1、ダイエー創業者:中内さん
ダイエーの創業者にして偉大な流通革命事業者でもあった中内功氏がなくなられたのはことさら寂しく感じました。八十を越えてなお、運転免許を取得しようと挑戦されている記事などを見て、中内さんらしい闘志衰えずだなと感心していたばかりでしたから、余計に戦士逝くの思いがよぎります。今はただご冥福をお祈りするのみです。


因みに、お名前の“こう”の字のつくりは刀が正確ですが便宜的に“功”を使わせて頂きます。私がお聞きしているところでは出生の届けを出される際に上が突き抜けない字で登録されてしまったためこういう一般活字の中にはない字になってしまったと聞いております。でも中内さんはこのお名前を大変気に入っておられたように思えました。


中内さんと私とは少なからぬご縁の深さがあったと思います。


初めてお目にかかったのは、小売業でダイエーが三越を抜いて売上げ日本一になられた翌年の1973年のことでした。まさにダイエーが日の出の勢いといっていい頃でしたが、中内さんはその前年までは腰に手拭いをぶら下げて仕事をなさっていたという現場主義の方でした。


実は、中内さんは私の神戸の出身校:兵庫県立長田高校の先輩にも当たられます。もちろん旧制時代のご卒業ですから、神戸第三中学校の確か14回卒であったと思います。最初の出会いは、当時、ダイエーの広告販促関係の仕事を一手に引き受けやっておられた広告代理店:大広の担当責任者:間瀬英作さんのご紹介でした。中内さんはお会いする前に拙著「DECOMAS(経営戦略としてのデザイン統合)」をご覧になり、その著者が後輩ということもあって初めから大変好感を持って接していただけたようでした。

※旧ロゴ


その後、私たちPAOSが松屋銀座のプロジェクトで忙しくなるまでの約8年余お仕事をさせていただきました。先ず一通りの調査と方針策定の上、ダイエーの新しいシンボルを決めました(最近別のデザインに変わりましたが)。この時は若手の優秀なデザイナー7人に指名コンペという形で参加をして貰い、29案の中からいろいろな与件に基づくスクリーニングを経て決めていきました。

※A案

※B案


ここに示しました2案が最終的に残った案で、Aの案は割合可もなく不可もなくではあったのですが、総合得点は第1位でした。Bの案は総合得点では第2位でしたが、ずっと個性的で善し悪しの評価ポイント極端に分かれたというか、要は好みのはっきり分かれるシンプルな案でした。それまでの事前の諸調査やダイエーという全国一のディスカウンターにしてチェーンストアビジネスということを考えると、むしろ第2位ではあるがこれからのダイエーには相応しいのではないかというのが私たちの意見でした。


中内社長は考え込まれ、一週間ほどこの2案を預からせて欲しいと言われ、社長室の壁に貼って毎日思案を重ねられたようです。なかなか決まらなくて日にちは10日、20日と過ぎていきましたのでわれわれも多少不安を持ち始めたこ頃ようやく結論が出ました。結果、われわれの考えていた案が選ばれていくことになるのですが、その際の中内社長の意見が傑作でした。「A案は何だか大企業が中小企業をいじめているようでいややなぁ」との一言でした。


カラーがオレンジというのも好意を持たれた要因のひとつであったようです。因みに、色彩心理学的にこの色は、上昇志向とか英雄の好む色ということでしたから、当時の中内社長にはぴったりの色だったといえたでしょう。ただ、オレンジという色は最も多用される印刷物のオフセット4色でどうしても色が濁ってしまうのが難でした。作者は当時ニューヨーク在住のレイ・吉村氏でしたが、彼らしいシンプル過ぎるほど切れの良いデザインで、「D」の文字をシンプリファイしていった造形で、プレゼンテーション力も群を抜いてました。


ただ、オレンジ色の新しいマークのもう一つの問題点というか、われわれが危惧をした点は、それを塔屋に高く表示すると遠目には日の丸を掲げたような印象になってしまうところでした。そこでかなりの大きさの建物模型を作ってそこにオレンジのマークだけををつけた案とオレンジの隣にはグリーンを配した案の両案を中内社長に見比べて貰い判断を仰ぐというプレゼンを試みました。


中内社長はこの手法に痛く感動され、「みんながこんな方法を使うてくれたら判断がしやすくてええんや」とうなずかれオレンジとサポートカラーにグリーンを配する案を選ばれ、「申し訳ないけど同じプレゼンテーションを、○○と□□にも見せてやってもらえませんか?内容の説明ではなくこうした手法を彼らにもおしえてやって貰いたいんですわ」と言われ役員の方を指名されたのでした。


確かに、当時の中内社長はほとんど、即断即決でした。超ワンマンの決定者でしたから、5分で決済が貰えるものをその順番を待つのに何日も要するといった始末でした。


その後、われわれPAOSのおぼえはどんどん高まり、関連事業等の依頼を次々と受けるようになっていくのですが、年間販促費だけでも200億を越える発注者としての内部担当者の中に金銭的トラブルとそれに関わる処分問題が起きたり、中内社長と直接お会いして物事が決められる機会が少なくなっていったりして、われわれは自らダイエーのプロジェクトから退いていくことにしました。


中内さんは、その後私たちの母校の同窓会長をお引き受けになられ私も世話役をやっていましたから、お会いするチャンスも結構あり、もちろん、お目にかかると親しくお話はさせていただきました。


「わが安売り哲学」という著書でも有名な理論家であり、同時に「コングロマーチャント(巨大化複合小売業)」を実践されていった実務家、大経営者でありました。しかし、結局は不動産をベースにする借金型成長摸式の小売業経営が、最後にはバブル経済崩壊時代の転換期に対応しきれなかったのだと私は考えております。


その後のダイエーの凋落は個人的心情としても残念でなりません。創業経営者には時々あることですが、相当ナルシストでもありましたから、それも経営体制に影響を及ぼしていたと考えています。



投稿者 Nakanishi : 2006年01月16日 18:41