詳細はともあれ、この時に出した4軸の骨子からなる基本提案はその後10年にもわたって松屋改革の基軸になり続けるのだが、その前提として私は「松屋が本気で変わるためにはその象徴行為として、旧来の伝統的なご紋章:「松鶴(しょうかく)マーク」をまず棄てることから始めるべきではないか?

※松鶴マーク(かって松屋と鶴屋が合併した際にできたマークで呉服の反物の巻き心に入れることがデザインの前提になっている)
と爆弾提言を行った。その場には改革のための中心人物の方たち、確か20人余が同席されていたと思うが、まるで何を馬鹿なことを言うのかと一瞬にしてまるで鼻じらむような雰囲気になってしまい、私も「あぁ、これでこのプロジェクトもお終いかな?」と思った。
まさに冷たい空気が流れる中、突然、山中社長が一呼吸おいていきなり立ち上がられ、「そうだこんなモノは葬式のマークにしてしまえばいいのだ」と松鶴マークを指さされて言われたのだ。私も驚いたが周りにいたまさに松屋そのものの人たちはもっと衝撃的であったろう。
これ以上ない助っ人として招かれた山中社長(当時はまだ副社長)の驚愕の発言に誰も一言も発することは出来なかった。そして、この事件があって以来、多くの斬新な提案が実行されていくことになるが、その中で外部に向かっての最大の作戦変更は常に「MATSUYA」と「GINZA」を対等の大きさで表示するという方針転換であったろう。
これは松屋をよくするためには銀座の街の復権がなければならないとの前提に立っての決定であった。
今日の銀座の街の隆盛を見るにあたり、よくぞ山中さんがこの思い切った提案を受け入れて下さったものと感慨は深い。
※MATSUYA GINZAのロゴ(基本デザイン:中條正義氏)
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