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松屋銀座:山中かん社長の7回忌に「思い出すこと1」

2005 / 11 /10


早いものでいまだに《ミスター百貨店》の尊称を持って呼ばれる山中かん氏が亡くなられて7回忌を迎えた。


その山中さんを偲び先日「山中かん氏を懐かしむ会」が多くの財界人や流通小売業関係者、ジャーナリスト等々を集め、盛大に開催された。去る10月16日のことである。


会場は山中さんが最後に情熱を傾けられ、初代理事長を務められた、わが国のファッション産業を振興するための学校:(財)ファッション産業人材育成機構のあるホテルで、現理事長:尾原蓉子さんを発起人代表として行われた。その会はまさに山中さんのお人柄と強烈な個性を思い起こさせる場の再現になった。
*(「かん」というお名前は金ヘンにツクリは貫の字が当てられていて金属をも貫く男という意味で命名されたとのことでもちろん作字をしないとない)


※ステージ近くには多くの懐かしい写真が飾られていた。


山中さんと初めてお会いしたのは1977年の秋のことであるから、今から28年も昔のことになる。以来、鬼籍に入られるまでの20年余の間のおつき合いから生まれた数々の思い出は簡単に書ききれるものではないので、この後も折に触れてこの素晴らしい経営者にして人格者のことは書き残していきたいと考えている。山中さんについて書き残された記録について考えてみると、この誰しも認めるあれ程の実績を上げられた方にしては意外にその実録が少ない?と思える。


今日あまりにも有名になった百貨店:伊勢丹のファッション路線の基本を築かれ、その専務を最後に、当時経営不振のさなかにあった銀座の名門百貨店:松屋の副社長として赴かれた理由については、私が個人的に後に山中さんから聞かされたところも多い。ともあれ1970年代後半当時の百貨店業は年率の売り上げ比率が対前年比103〜4%と経済の安定成長期の伸びとしては異常に低いものであった。当時日の出の勢いにあったダイエーなど大型チェーンストアビジネスは対前年比120%もの実録を残し、業種的に百貨店の時代は既に終わったという専門家も多かった。


特に銀座の松屋は百年を越える歴史と地域一番の売り場面積を持ちながら、対前年比97%のマイナス成長状態を余儀なくされていた。これにはいろいろ理由があったが、山中さんが助っ人として出向かれた際には、横浜、船橋などの他店舗を売却し、銀座一店と浅草の小型店のみを残すまさに背水の陣といっていい状態にあった。そのため私どもに最初に相談の方が見えたとき「銀座一店を何とかして貰えないだろうか」との一言からこのプロジェクトはスタートしている。


しかし、程なくして山中さんに初めてお目に掛かった時の衝撃は今も忘れられない。山中さんは当時PAOSという会社を起こして10年にも満たず実績と言えるほどのものも少なかった私を前にしてのっけから「中西君、この店は今何か思いきったことがやれなければ必ずつぶれる。何かをやったとしてもそれが失敗すればやはり確実につぶれるから、君、思い切ったことをやって貰いたい。」と一介の若造を前にして言われたのである。


※関連記事
・松屋銀座:山中かん社長の7回忌に「思い出すこと1」
松屋銀座:山中かん社長の7回忌に「思い出すこと2」
松屋銀座:山中かん社長の7回忌に「思い出すこと3」
松屋銀座:山中かん社長の7回忌に「思い出すこと4」



投稿者 Nakanishi : 2005年11月10日 10:37