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実家の焼夷弾跡(ひとつの戦後60年)

2005 / 10 / 3

つい先日生家である神戸の実家に帰った時の写真です。


探し物があって母屋の2階の奥の部屋にはいってみたらなんと凄いものを見つけたので撮影してきました。私も多分20年近くはこの部屋に足を踏み入れたことはなかったろうと思います。


これは昭和19年(1944年)の神戸大空襲で焼夷弾(日本の木造住宅攻撃用に開発された新兵器)爆撃を受けた時に被弾した跡です。


当時、父は中国に無線有線の技術兵として出征していたのですが、家を守っていた母と父の弟:武三(タケゾー)叔父が必死になって消し止めたその焼け跡がこれです。子供の頃に母から聞いた話ですが、2階の天井裏に落ちた焼夷弾が天井板を焼き始めたのを下からつついて畳の上に落とし、その上に必死の思いで布団をかぶせて水を注ぎ消し止めたものだそうです。もしこれを消すことができなければ、今の我が実家は存在していませんでした。


そもそも我が家は今から約70年前、嫁入りしてくる母を迎えるために建てた家なのですが、戦中の爆撃にもその後の阪神大震災にも生き残った貴重品なのです。特に大地震の際にはご近所にあった旧家の大屋根の架かった家は殆どが瓦の重みで倒壊してしまいました。しかし、我が家は甚大な被害を受けながらも幸いなことになんとか残ってくれました。ただ、地震後は住んでいる父母達の高齢化の問題と室内もいろいろなものが足の踏み場もなく崩れていて、日常的に使わずに済む部屋については長い時間開かずの間になってしまい、すっかり放置された侭になっていたのです。


先般、夜中にNHKの番組で、第二次世界大戦中アメリカ空軍が日本の一般市民まで攻撃対象にしていくプロセスがドキュメントとして放映されていて、子供心にも恐ろしかった空襲の悪夢が蘇りましたが、それにしても太平洋戦争当時の焼夷弾の焼けこげがそのまま残った家など今ではまずないのではないでしょうか?その意味では実に貴重な実録といえそうです。


多くの若い方たちにはピンとこない話かも知れませんが、空襲の翌朝、昨日一緒に遊んだ仲間の一家が焼け落ちた家の前の壕で窒息死し、その骸(むくろ)が筵(むしろ)を掛けて積み上げられていて、煤(すす)だらけの黒い足を指先で押したらその跡がくっきり残ったことと、その時のまだ弾力のあった感触がいまだに思い起こされます。


※この部屋の欄間をよく見ると神戸の六甲連山が描かれ、市章(旧仮名使いの神戸=カウベの字がモチーフ)が彫り込まれています。



投稿者 Nakanishi : 2005年10月03日 21:00