中西元男 実験人生
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韓国のマツタケおじさんはてまたモンゴルの皇帝

2004 / 11 / 5

いつの頃からか、わが家では「韓国のマツタケおじさん」と呼ばれきた金ヒュン(Kim Hyun)さん、彼は韓国の最も代表的な実力派CIデザイナーといっていいでしょう。僕もこれまで30年余の間に100社位のプロジェクトには関わって来たかと思いますが、彼が作り上げてきたロゴやキャラクターの数々はその何倍もの数がありそうです。その金ヒュンさんの会社:DESIGN PARK社がこの度創業20周年を迎えました。おめでとう。素晴らしいことです。

その彼が何時の頃から、どうした理由でわが家に松茸を送ってくれるようになったかの理由は定かではない、というよりちゃんとは覚えてないのです。ゴメンナサイ。でも「マツタケおじさん」の名付け親である娘が今は大学生になっていて、確か彼女が小学生になる頃の命名ですから、相当以前よりこの福の神は続いていることになります。今年も立派な天然産松茸がどーんと送られてきました。家族だけでなく周りの人たちにもお裾分けして舌鼓を打ちついただきました。ありがたいことです。

金さんと初めて会ったのは、僕が韓国に最初に呼ばれた時のことでしたから、確か1979年のことだったと思います。その頃、彼は大宇グループの宣伝部の一課長でサラリーマン生活をしていました。当時この会社のデザイン顧問をされていた趙英濟先生に案内されソウル駅前の本社ビルを訪れたのが出会いだったと思います。彼の机上や周りの雰囲気を眺めて、何だかまるで日本の会社の宣伝担当者の机上にそっくりの光景だなといった思いが印象深くが残っています。

彼がなかなか優秀なデザイナーであることは聞かされていましたが、ある日僕の印象の中に強烈に飛び込んできたのが、1988年のソウルオリンピックのキャラクターデザインのコンペで一位になった時でした。いくつかの変化形を持った有名な虎のキャラクター「ホドリ」がその作品でした。その後も独立してデザインオフィスを構え、彼は次々と著名なCIコンペに勝ち抜き、凄い量の作品を遺してきています。それらのオリジナリティと造形水準がどれも非常に高いので、いつも感心して遠くより眺め、ソウルに行ったときは彼のオフィスを訪ねて新作など見せて貰います。

金さんとのことで一番印象に残っているのは、北京のCI大会を開こうとした時のことです。それは1994年のことだったと記憶してますが、北京で初めてこうした類の国際大会を開こうと企画をし、僕の知っているアジアを中心とする各国の代表的なCIデザイナーに声を掛け集まってもらいました。

この時は、中国の人たちはほとんど国外に出ることが難しかったものですから、1995年10月の開催までに何度か皆さんに北京に足を運んで貰いました。台湾の林磐聳、香港のカン・タイクン(Kan Tai-keung)、それに韓国を代表して金ヒュン、日本からは僕でした。中国側からは張武、宋世偉などの、当時の中央工芸美術学院(現清華大学美術学部)卒のメンバーでした。本会議では、日本のデザイン界の天皇とも称された故亀倉雄策先生や、ニューヨークからは有名なペンタグラムのファウンダー(創始者) Colin Forbes氏にも来て貰いましたが、この準備のための期間中は、何度もアジアのメンバー達で集まって話し合いの機会を持ちました。会議後は決まっていろいろな中華料理を楽しみ、そしてその頃はまだ珍しかったホテルの地下でのカラオケなどでも盛り上がったものです。北京語・広東語・台湾語・韓国語・英語・日本語の飛び交うカラオケ大会とは何とも不思議な雰囲気でした。

こうした良い思い出の中でも、強烈に印象に残った事があります。それは北海公園の中の彷膳(レストランの名)で中国人達が開いてくれた歓迎の宴での出来事でした。この大きな人工湖に面した伝統的な建物は、清朝時代に西大后が料理三昧の日々を送った場所として有名ですが、文化大革命時代に江青が同じく皇后気取りで贅沢三昧の日々を送った場所としても著名なのだそうです。料理はいわゆる満漢全席の宮廷料理なのですが、建物の内外装、調度や食器類、もちろん料理の数々に至るまでまさに清朝の宮廷そのものです。そんな中、清朝の皇帝・皇后の衣装が用意されていて宮廷用の椅子に座って写真の撮れる部屋がありました。というと一見安物の記念写真撮影用セットのように聞こえるでしょうが、これがまさに正真正銘の本物尽くしなのです。われわれはそこで代わるがわる着付けをしてカメラに収まってみましたが、金さんが皇帝の座に着いた時は一瞬皆が息をのみ、そして期せずして歓声があがりました。彼の精悍な浅黒い風貌と皇帝の衣装があまりにもピッタリ合っていて、他の人たちのようにどことなく借り物然とした雰囲気とはまったく違うのです。それはモンゴルか元の国の皇帝がまさに遠く外征の戦いから凱旋して来たような風情でした。その姿を見たとたん、その後は誰もそこで衣装に袖を通す人はいなくなっていました。



投稿者 Nakanishi : 2004年11月05日 03:08