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好漢、長峰秀鷹逝く
・ 松尾紘出子 (2006/03/20) 思い出ベンチ ・ 花子 (2005/11/19) 小泉解散に思う。vol.3(8月18日) ・ Narumi Fukuda (2005/11/10) |
« アジアのデザイン・アイデンティティ (3) | メイン | ◎緊急連絡!開催日変更「新宿西口定点撮影35周年記念展」 » ■ブラニフ航空2004 / 10 /15「PARCO Part.3で、ブラニフ エアライン エキスポという昔の面白いCIの展覧会をやってますよ」と言われ「えっ!」と驚き、週末に辛うじて時間を取り観に行きました。 会場は若い人たちでごった返し、記念に空気枕でも買って帰ろうかと手にしましたが、レジ前のあまりの長蛇の列に諦めました。 嘗て取材に行った頃のブラニフ航空は本当に輝いていました。というか、当時の航空会社のコーポレート・アイデンティティ・プロジェクト(CI)は本当に面白い作品が多かかったのです。1970年前後のアメリカのCIそのものがまさに輝いていた時代でした。それに比べると今のCIは何とお座なりでつまらないものばかりなってしまったのか、ほとんどはパソコン上のグラフィック遊びみたいなものです。後の世に展覧会をやって楽しませるとか、グッズが売れるなんて事例はまず考えられないではないでしょうか。 「何故この当時のCIは素晴らしかったのだろう?」、特に航空会社のCIはどこもここも刺激的でアイデアを競って面白かった、その理由は何だろうと考えてみました。逆に、今の航空会社のCIがつまらなくなってしまった理由は何故だろうかとも考えてみました。 当時の航空各社は一部例外(これも面白い想い出ですので回をあらためて書きたいと考えています)を除き、IATAという世界航空協定に加盟していました。今でいう料金カルテルですから、いきおい競争は値引きではない競争、すなわち、サービス競争、アイデア競争に走ったのです。デザイン競争もその一環といえます。 ブラニフはその中の秀逸というか、大成功の結果、航空会社の社長とそれを請けおった広告代理店の女性社長の結婚というおまけまで付いたのですから、当時のCIは面白いのです。飛行機の機体を7色に塗り分けるとか、スチュワーデス(この表現すらもう古いですね)が引っ込む度に衣装を着替えて出てくる空中ストリップが人気を博するとか、ともかくビックリするようなアイデアが次々実施されたのです。ただし、ストリップはわが国のようにヌードショウを意味するのではなく、「着替える」という意味ですからくれぐれもお間違えなきよう正しておきます。 まあブラニフ航空の話は展覧会をご覧になられた方も多いと思いますのでこれ位にして、ここではもう一例ご紹介してみましょう。僕がこの当時体験した中で、今でも鮮明に記憶に残っているのはPSA(Pacific Southwest Airlineだったと思います)航空です。この会社はサンフランシスコとロサンゼルスの間を飛ぶビジネスエリートのための航空路線でした。料金は少々お高いのですが、機内は全てがゆったりと作られていて、仕事をするスペース、ソファでくつろぐスペース、ゲームをやるスペース等々用意されていて、スチュワーデスは皆さんとびきりのスタイルの美人ばかりでした。この人たちが全員超ミニのスカートかホットパンツを着用していて、目のやり場に困ったのを覚えています。加えて窓の外を一人でぼんやり眺めていたりすると、すぐ飲み物を持って隣の席に座り話しかけてくるのです。まだ僕も若かった頃ですから、すぐ横でスンナリ伸びた見事な御足にどぎまぎしたものです。 価格競争第一の現代の航空会社では到底考えられないことですが、ブラニフの事例を見ながら思ったのですが、何か少々料金は高くてもいいですから、アイデアに溢れたサービスオリエンティッドな航空会社か特別便が出現しても、それだけの価値があれば繁盛すると僕には思えるのですがどうでしょうか? どこかそういう知恵出しの仕事依頼をしてくれる会社が現れてくれるといいのですが。 投稿者 Nakanishi : 2004年10月15日 01:51 |
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