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好漢、長峰秀鷹逝く
・ 松尾紘出子 (2006/03/20) 思い出ベンチ ・ 花子 (2005/11/19) 小泉解散に思う。vol.3(8月18日) ・ Narumi Fukuda (2005/11/10) |
« 講演・セミナー月間余話 | メイン | デザインの《標準化メリット》追求 » ■《ロゴマーク》とマツダのCI(コーポレート・アイデンティティ)2004 / 10 /12デザイン&ビジネスフォーラムin広島実行委員会主催「デザイン&ビジネスフォーラムin広島」の講演とシンポジウムで久しぶりに広島に出かけました。これは昨年のGマーク大賞選定の日にスタートを切り、たまたま記念スピーチの依頼を受けてキックオフスピーチをやらせて頂いた経済産業省主催のデザイン&ビジネスフォーラム活動の一環です。 今回、僕が担当することになったそもそものきっかけは、中国地方のデザイン界のリーダー:縄田健次さんのご紹介がきっかけであったようです。駅まで迎えに出ていただいた縄田さんとも久し振りにお話もでき、加えて、同じ列車で着いたパネリスト担当の立命館大学:佐藤典司教授を縄田さんにご紹介することもできました。でも、実はお二人は山口県立宇部高校の先輩後輩でそれを僕の方が知っていたという不思議なご縁でもありました。 また、広島と言えば、1970年に最初の出会いがあって後、僕にとって最初の本格的なCIプロジェクトとなったマツダ(当時は東洋工業が社名)の当時の実務担当責任者で、今は広島市立大学の教授をされている福村満さんとも本当に久し振りに酒を酌み交わす機会を持ち、予定の新幹線の時間ぎりぎりまで近況など語り合いました。福村さんと再会を約して別れたあとも、帰路の車中で当時のプロジェクトの諸々を思い起こしていました。 当然、マツダのCIといえば、いわば「日本型CI事始め」のようなプロジェクトでしたから、開発作業中はいろいろな創意工夫やトライ&エラーがそれこそ数限りなく繰り返されました。今日の本題はその一端をご紹介してみたくて書き始めたものです。 1975年に発表され今日も使い続けられている mazda のコーポレートブランドロゴは、当時、その呼び名を《ロゴマーク》にしました。マツダの Corporate Identification Manual にもちゃんとそう規定されています。ロゴタイプ(専用指定書体)ではあるがマーク的な性格も強いので敢えてそのよう呼称したのですが、多分、ロゴマークという呼び方を世界で初めて正式に使用した第一号事例ではなかったかと思います。これはコンペの結果、レイ 吉村さんの案を採用したものですが、当時NYでCIの第一線デザイナーとして活躍していた彼のプレゼンテーション作品は群を抜いた出来映えであったことを鮮明に覚えています。 その後、ロゴマークという表現は広く世界で使われるようになっていき、それが今では企業やブランドのこうしたシンボリックな基本図形類は全て「ロゴ」と呼ぶのが一般的になっています。ロゴとは、ロゴタイプつまり専用書体の略ですから、本当は図形商標まで含めてロゴというのはおかしいのですが、言葉の成長?とはそのようなものなのでしょう。 たとえば魚(さかな)は昔「うお」とか「いお」と呼ばれていたものが、酒の肴(さかな)に使われることが多かった結果、現在の「さかな」と呼ばれるように変わって行ったのだそうで、呼称というモノは時代と共に変化していくもののようです。 投稿者 Nakanishi : 2004年10月12日 11:50 |
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