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好漢、長峰秀鷹逝く
・ 松尾紘出子 (2006/03/20) 思い出ベンチ ・ 花子 (2005/11/19) 小泉解散に思う。vol.3(8月18日) ・ Narumi Fukuda (2005/11/10) |
« デザインの《標準化メリット》追求 | メイン | ブラニフ航空 » ■アジアのデザイン・アイデンティティ (3)2004 / 10 /141979年初めて韓国に呼ばれた際の印象は強烈でした。この時の主たる目的は講演でしたが、飛行機が金浦空港に向かって降下し始めたとき、本当はいけないと言われた窓をあけ少しの隙間から覗いてみたところ、空港を取りまく山々の頂には銃座が備えられ、厳戒態勢のまっただ中に乗機は降りていくのです。 到着後、迎えの車に乗っていかにも戦時体制といった雰囲気の中、ソウルの街に近づき市中に入って行くに従い、僕には次なる不安が襲ってきました。見える看板の文字全てがハングル一辺倒で、漢字はおろかアルファベットの一文字すら見つけられないのです。人口1,000万人を越える大都市でこれ位外国人に何も判読できないような街は果たしてあるだろうか?と落ち着かないことこの上ないのです。当時は朴大統領の軍事政権時代で、ハングル統一運動が盛んに行われていたための結果と後で判りましたが、同じ顔をしている人たちが沢山住んでいるにも関わらず全く一文字も読めない不安感というのは実に不思議なものです。 ご招待を受けた最初に「僕は韓国語の一言すら話せませんから」と固辞したにも関わらず、当時、ソウル大学の教授で韓国視覚デザイン協会の会長でもあった招待者の趙英濟先生は「中西さん、同じ漢字民族の国ではないですか、何も心配なさらずに来て下さい」と言われ、のこのこやって来た自分はやはり間違ではなかったかと頭を抱えたものでした。 加えて、ソウルの街中に出て歩いてみても人々の着衣は何らかの軍服です。行き交う女の人たちも化粧っ気など一切ありません。たとえば学生の軍事教練用の服は迷彩柄にペンの絵が混じり込んでいるから学生用と分かるといった具合なのです。すぐ隣にありながら、当時「近くて遠い国とはよくぞ言ったもの」と妙に感心したことを思い出します。 講演も終わり、少し落ち着いた所で趙英濟先生と日韓の文化の差、特に視覚的な文化の違いについていろいろ話し合ったのは未だに印象的です。ここで詳しく内容を述べる余裕はありませんが、キーワードを使って総じて言うならば、日本は「ウェット」で「ハーモニー」を旨とするのの対し、韓国は「ドライ」で「コントラスト」を主軸にしているとでも言えましょうか。確かに日本の着物の柄などを見ても繊細でしっとりとした風合いが女性的な和とか自然観に通じるように思えるのに対し、韓国のチマチョゴリなどに見られるハッキリとした色の対比や、随所に岩肌が飛び出し男性的な荒々しさを感じさせる風土的特色はわが国にはない固有のものと言えます。 こうした彼の国の荒々しさは悪く言えば粗雑さにも通じ、Gマークなどに出品されてくるプロダクトデザインなども、数年前にはひと目で韓国製と判断できるような特色がありましたが、最近では殆ど日本製かどうか クレジットを確認しないと判らないような仕上がりのものが大部分になってきました。 よく商品デザインの方針を立てようとするとき、原産国のアイデンティティをはっきり打ち出すか、インターナショナルな普遍性を大切にするかは大きく政策の分かれる所ですが、日本にしろ韓国にしろナショナリティを出しながら世界に通用するデザイン戦略が採用できる文化的熟成が待たれるところです。まさに国家のデザインアイデンティティ政策と関わる課題です。 投稿者 Nakanishi : 2004年10月14日 10:11 |
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