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好漢、長峰秀鷹逝く
・ 松尾紘出子 (2006/03/20) 思い出ベンチ ・ 花子 (2005/11/19) 小泉解散に思う。vol.3(8月18日) ・ Narumi Fukuda (2005/11/10) |
« 初めてのアメリカ行と私感:日米航空事情 (2) | メイン | 電話応対の損得 » ■もう一つおまけ航空旅行物語、エア・サイアムとコンコルド (1)2004 / 10 /21ブラニフ展がきっかけで書き始めました航空旅行体験のお話を、もう一つご紹介しておきましょう。 1972年以降、次々と編著書を刊行するために何度か海外取材を敢行することになります。その頃は全く資金の余裕もなかったものですから、なるべく安い渡航手段を探し求めた結果、IATA(世界航空協定)に加盟してない航空会社のあることを見つけました。エア・サイアム(Air SIAM)と言いますからタイ国に本社を置く航空会社だったと思います。 この航空会社は、事前に申込みをしておくと空港で学生証明書を配布してくれ、にわか学生団体が結成されるのです。結果、超格安でニューヨークまで学生団体旅行として行くことが出来たのです。同じようなシステムはヨーロッパにもあって、アメリカに飛ぶ便はアイスランディック(Icelandic)という航空会社が運行していました。ただ、この便に乗るためにはリヒテンシュタイン公国という、ヨーロッパ中央部にある小豆島程大きさの小国に出向かなければなりませんでした。しかし、こういうことでもない限りリヒテンシュタインなどに出かけるチャンスもありませんから、この時の入国は貴重な記録でした。 ところが行ったところで事件が起こったのです。 たった一機しかない機体が故障して飛べないというのです。「時間はあっても余計な資金などほとんどないのに困ったことになったな」と思っておりましたところ、詳しく説明を聞いてみると、これは航空会社側の責任だから費用は全てアイスランディック社が持ってくれるとのこと、案内されたホテルに行ってみるとこれがゴルフ場の中にある実に素晴らしい高級ホテルなのです。しかも、今夜は何を食べてくれてもいい、好きな酒を飲んで構わないと、信じられないような厚遇なのです。昨日までは、わざと夜遅くホテル探しをして宿泊費を値切りながらの貧乏旅行を続けていたわけですから、まるで地獄で仏に会ったようなアクシデントであったわけです。 お恥ずかしい話ですが、この時とばかりたらふく飲み食いし、至福の一夜を過ごして迎えた翌日、飛行機は飛ぶことになったのですが、なにしろたった一機しかない飛行機はどうみても大丈夫かな?と思えるようなみすぼらしさなのです。 シートに座って上を見上げると天井の化粧板などぶらぶらと垂れ下がっている所さえある始末です。窓からそとを眺めているとワイシャツにサンダル履きといった風情のオジサンがタラップを上がってくると、実はその人がNY行きのパイロットだったのです。本当にアメリカまでたどり着けるのかいな?と思った人は多かったと思います。皆不安そうな顔をして囁き会っていました。ただ、その代わりと言ってはなんですが、飲み放題のアルコール類はシャンパンもワインも素晴らしい名品が揃えてあるのです。不安感を払拭するためもあってともかく飲みまくりました。 もちろん何事もなく一日遅れでNYに到着したのですが、振り返ってみるとお陰でこの事件が、この頃数年間で最高の贅沢旅行を提供しくれたわけですから世の中分からないものです。 投稿者 Nakanishi : 2004年10月21日 09:25 |
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