中西元男 実験人生
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初めてのアメリカ行と私感:日米航空事情 (1)

2004 / 10 /19

ブラニフ航空の話のついでに、当時の航空会社に関する話題をもう少し続けてみましょう。

僕がアメリカに初めて出かけたのは1970年のことですが、当時は成田の国際空港などまだ影も形もなく、アメリカの主要な都市に入るためには途中一回燃料補給の必要があったため、羽田からアラスカのアンカレッジやハワイのホノルルを目指して飛び出していました。

海外旅行など未だ珍しい時代で、空港のあちこちで見送りの人垣ができ、万歳三唱の真中に出張者が晴れやかかつ緊張した表情で立っていました。なにしろ日本の経済が高度成長基調に入っていたとはいえ、為替レートは1ドル=360円と異常に分率が悪く、多くはなけなしの貴重な外貨を懐に使命感を帯びて出かけていくといった風情でした。

もちろん、僕とても例外ではありません。事実、3ヶ月ほど会社を留守にし、帰国後も書籍:DECOMASの編著に多くの時間を費やしたため、上梓直後にはPAOSが潰れるか否かの瀬戸際まで行きました。ともあれ、アメリカ調査取材旅行に向け、その時に奮発をして買った輸入品のサムソナイトやカメラバッグは今でも記念の品として大切に取ってあります。

さて、飛行機が羽田を飛び立ってしまいますと機中は実に華やいだ雰囲気で、当時はスチュワーデスも多くは高学歴・良家の子女といった人たちが多く立ち居振る舞いもどことなく優雅さがあったせいか、飛行機の中はどこか高級サロン然としていました。

機中でもいろいろ面白いことがありました。たとえば横に座ったアメリカ人の老夫婦はおつまみに品川巻のお煎餅が出されたとき「このブラックペーパーはどうしてもうまく剥がせない」と一生懸命海苔を取ろうと苦労しており、これが食べられる日本の代表的な食品であることを説明するのに苦労しました。今の方がもっと驚かれることというか、現在のアメリカ便と比べてみると隔世の感と言えましょうが、太平洋上で日付変更線上を飛行機が越える時などはスチュワーデスの皆さんは振り袖に着替え、日付変更線通過記念の証書と記念品を配ってくれたものです。



投稿者 Nakanishi : 2004年10月19日 01:18