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新宿西口定点撮影35周年「記念展」物語 (2)

2004 / 10 / 7

35年にもわたりこの撮影が続けられた陰には、先ず、「最初の撮影場所の設定が良かった」の一点に起因するところ大だと思います。

この計画の写真家は最初から山田脩二(デザイン学校時代からの親友ですので呼び捨てにさせて貰います)と僕は決めていました。

彼は、今はカメラマンという職業からは表向き引退してしまい、「瓦」、そして最近は「炭」に関心が行き、このテーマで各地を巡っています。本人に言わせると「写真を焼くのも、瓦を焼くのも、炭を焼くのも、焼くことに変わりはない」と周りの人を煙に巻き、普段はいぶし瓦の産地淡路島に居を構えながら、上京してくるといつも夜中まで酒を飲み、人を喰った発言奇言を繰り返していますが、1969年当時の山田は、器から都市まで、造形物を撮らせればナンバーワンの写真家として周りから一目置かれていました。

事実、磯崎新、白井晟一等々多くの建築家が彼に自らの作品を撮影して貰うことを望んでいましたし、特にモノクロ写真に関して彼の紙焼き技術まさに独壇場と言えました。それは最初の撮影カットのドラマティックな雲の状態など見ていただければお解り願えるでしょう。

そうした山田の業績の大きさを証明するものとして、来春早々には安藤忠雄設計で有名な兵庫県立美術館にて彼の半生記展が開かれます。

さて、その山田脩二が定点撮影の場所に選んだのは、当時としては稀な高層マンション(14階建)の屋上で、しかもここは遠く国鉄(現JR)新宿駅を望み直近直前には都営アパート群が建つ、まさに好適地だったのです。もう少し解説を加えますと、彼は「駅の近くからビルは順番に建っていく」「都営住宅は簡単には建て変わらない」と見越していたのでしょう。この慧眼があればこそ35年の長きにわたって西新宿の超高層建築群を撮り続けることが可能になったのです。

その後の撮影担当者としては、山田のアシスタントからスタートし、その後、沖縄の写真家として名を馳せている垂見健吾、PAOSのスタッフカメラマンであった田中一光(かずみつ)、フリーカメラマンとして実にこまめに気遣いをしフォローを続けてくれている嶋村秀人へと、4人にわたり撮影は引き継がれ今日に及んでいます。当然、各人使用機材やレンズ等が異なりますので多少の周縁差異は生じておりますが、根本に置いて問題はないと考えております。

ところが、最近、このマンションの屋上広告塔にかんざしのような突き出し照明具が取り付けられてしまい、カメラマンが命綱をつけて撮影せざるを得ないという危険な状態になってしまったのも、本プロジェクトを打ち切った理由の一つでした。加えて、画角に入る範囲のほとんどの建築計画が終了したというのも終了の理由です。

もっとも西新宿の開発記録としては、途中、別アングルからの撮影も1994年4月から始めています。がこれは写真作品的には単なる記録としての価値しか無いと言えますが、変化を追い続けるという継続性は保たれています。

それからもう一点、付帯する記録として、全く別アングルから、東京都庁を中心とした朝・昼・晩一日10カットずつの、建て始めから終了時までの35mmカラー連続撮影もあります。これもなかなかダイナミックなものですが、こちらの方は、学生時代に遡るほど昔からの知り合い小川忠博君に撮影装置を考えて貰いました。彼は、タイマーをセットしたカメラを百葉箱に入れて毎日決められた時間になるとシャッターを切るという装置を作ってくれました。

実は、新宿西口の景観は都庁舎が出来る前と後ではまるでイメージが変わってしまうのですが、そのあたりも楽しんで頂けようかと思います。

ともあれ、少しでも多くの方々にパークタワー・ギャラリー1での写真展をご覧いただきたいと思います。



投稿者 Nakanishi : 2004年10月07日 10:21