中西元男 実験人生
HOME
PAOS
WGD
NAKANISHI'S PROFILE
実験人生のテーマ
このブログでは、カテゴリー分けに出来ないため、
テーマを色別で表示しています。


■PAOSノベルティ

■PAOSそば猪口
新着ブログ
ARCHIVES
2019年02月
2019年01月
2018年12月
2018年08月
2018年06月
2018年05月
2018年04月
2018年03月
2018年02月
2018年01月
2017年12月
2017年10月
2017年09月
2017年08月
2017年03月
2017年02月
2016年09月
2016年05月
2016年02月
2016年01月
2015年12月
2015年09月
2015年06月
2015年05月
2015年04月
2015年03月
2015年01月
2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年09月
2014年08月
2014年06月
2014年04月
2014年03月
2014年02月
2014年01月
2013年10月
2013年09月
2013年08月
2013年04月
2013年03月
2013年02月
2013年01月
2012年08月
2012年05月
2012年03月
2012年02月
2012年01月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年09月
2011年08月
2011年06月
2011年05月
2011年04月
2011年03月
2011年02月
2011年01月
2010年11月
2010年08月
2010年07月
2010年06月
2010年05月
2010年04月
2010年03月
2010年02月
2010年01月
2009年11月
2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年05月
2009年04月
2009年03月
2009年01月
2008年12月
2008年11月
2008年09月
2008年08月
2008年07月
2008年06月
2008年05月
2008年04月
2008年03月
2008年02月
2008年01月
2007年10月
2007年09月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年06月
2006年05月
2006年04月
2006年03月
2006年02月
2006年01月
2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年09月
2005年05月
2005年01月
2004年12月
2004年11月
2004年10月
2004年09月
COMMENT

« MN Blogを始めるにあたってメイン「時代のアイコン」展は素晴らしかった »

阿部公正先生を偲ぶ

2004 / 9 /14

9月12日、麻布の国際文化会館でわが国におけるデザイン史の泰斗、阿部公正先生をしのぶ会が催された。先生は7月15日にお亡くなりになり、ご家族で既にご葬儀は済まされていたが、生前の先生から教えや薫陶を受けた多くの有志が集まり本会が催された。

僕は1958年桑沢デザイン研究所リビングデザイン科基礎コースに入学し、そこで憧れであったバウハウスの講義などを阿部先生から直接受ける栄に浴した。当時の桑沢の教授陣はまさにデザインに関わりの深い各界の最高の人材を揃えての贅沢なモノであったが、中でも、阿部先生のデザイン史やデザイン思想論はその後、僕がデザインという分野に幅広く取り組む基本姿勢を決めていく上で実に大きな役割を果たす結果となってくれたことは間違いない。

僕は桑沢の後、4年間の自由な時間が欲しくて早稲田大学に進むことになるが、こうした自分の指針設定にも阿部先生の視野の広いデザイン観の影響は少なからずあった。

その後、早稲田の第一文学部美術専修を卒業(1964年)して後、進路をどう取ろうかと考えて阿部先生にご相談に伺ったとき、先生から「今のデザイン界はもう一つ先行きが混沌としたところがあるから、女子大の生活芸術科のような教職に席を持ち、比較的恵まれた研究室生活を活かしながら将来に備えたらどうか?」とのアドバイスがあり、相当具体的に動いても頂いた。

当時、早稲田でデザイン史や建築史の直接授業を受けていた板垣鷹穂先生は東大の美学で阿部先生の先輩に当たられる方だったから、この件に関してはぜひ板垣先生の承認も貰って欲しいとも言われた。勝見勝先生との関係もそうであったし、なるほど東大美学の先輩後輩という人間関係の中ではそうした仁義というかマナーが存在しているのかと感心させられたことがお思い出として残っている。

その後の僕は、浜口隆一先生のお誘いを受けての自身最初の著作「デザイン・ポリシー(企業イメージの形成)」の執筆中でもあったので、取り敢えず大学院修士課程へと進む道を選んだが、当時は現役の学部生がそのまま大学院へ進むケースは稀な時代で、その年の芸術学西洋美術史専攻では私ひとりだけの進学という状況であった。結果、阿部先生のお薦めには従わないことになってしまったが、桑沢時代に始まる先生からのデザインを生活学・社会学として捉える薫陶の影響は強く、僕自身の中には、どこかの会社に就職しようなどとの発想ははじめから殆どなかったといっていい。

慶応義塾大学の創始者:福沢諭吉翁は「一生を貫く仕事を持てた人は幸せである」との言葉を残しているが、その意味でも僕は阿部公正先生ありがとうございましたと謝意を表さねばならない。




投稿者 Nakanishi : 2004年09月14日 10:48