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阿部公正先生を偲ぶ

2004 / 9 /14

9月12日、麻布の国際文化会館でわが国におけるデザイン史の泰斗、阿部公正先生をしのぶ会が催された。先生は7月15日にお亡くなりになり、ご家族で既にご葬儀は済まされていたが、生前の先生から教えや薫陶を受けた多くの有志が集まり本会が催された。

僕は1958年桑沢デザイン研究所リビングデザイン科基礎コースに入学し、そこで憧れであったバウハウスの講義などを阿部先生から直接受ける栄に浴した。当時の桑沢の教授陣はまさにデザインに関わりの深い各界の最高の人材を揃えての贅沢なモノであったが、中でも、阿部先生のデザイン史やデザイン思想論はその後、僕がデザインという分野に幅広く取り組む基本姿勢を決めていく上で実に大きな役割を果たす結果となってくれたことは間違いない。

僕は桑沢の後、4年間の自由な時間が欲しくて早稲田大学に進むことになるが、こうした自分の指針設定にも阿部先生の視野の広いデザイン観の影響は少なからずあった。

その後、早稲田の第一文学部美術専修を卒業(1964年)して後、進路をどう取ろうかと考えて阿部先生にご相談に伺ったとき、先生から「今のデザイン界はもう一つ先行きが混沌としたところがあるから、女子大の生活芸術科のような教職に席を持ち、比較的恵まれた研究室生活を活かしながら将来に備えたらどうか?」とのアドバイスがあり、相当具体的に動いても頂いた。

当時、早稲田でデザイン史や建築史の直接授業を受けていた板垣鷹穂先生は東大の美学で阿部先生の先輩に当たられる方だったから、この件に関してはぜひ板垣先生の承認も貰って欲しいとも言われた。勝見勝先生との関係もそうであったし、なるほど東大美学の先輩後輩という人間関係の中ではそうした仁義というかマナーが存在しているのかと感心させられたことがお思い出として残っている。

その後の僕は、浜口隆一先生のお誘いを受けての自身最初の著作「デザイン・ポリシー(企業イメージの形成)」の執筆中でもあったので、取り敢えず大学院修士課程へと進む道を選んだが、当時は現役の学部生がそのまま大学院へ進むケースは稀な時代で、その年の芸術学西洋美術史専攻では私ひとりだけの進学という状況であった。結果、阿部先生のお薦めには従わないことになってしまったが、桑沢時代に始まる先生からのデザインを生活学・社会学として捉える薫陶の影響は強く、僕自身の中には、どこかの会社に就職しようなどとの発想ははじめから殆どなかったといっていい。

慶応義塾大学の創始者:福沢諭吉翁は「一生を貫く仕事を持てた人は幸せである」との言葉を残しているが、その意味でも僕は阿部公正先生ありがとうございましたと謝意を表さねばならない。




投稿者 Nakanishi : 2004年09月14日 10:48